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沢村投手の勇姿再び 母校の京都学園にブロンズ像(京都新聞2003-11-29)

京都学園高の本館前に設置された沢村栄治の等身大ブロンズ像

京都商業(現京都学園高)出身の剛速球投手、沢村栄治ブロンズ像がこのほど完成し、29日、京都学園高(京都市右京区花園)で除幕式が行われた。沢村は昭和5年(1930)に京都商業に入学。昭和9年(1934)に全日本チームに選ばれて全米チームと対戦し、草創期のプロ野球で活躍したが、27歳で戦死した。

除幕式には、沢村の長女の酒井美緒さんや元広島カープの衣笠祥雄さんら約450人が出席。左足を高く上げた独特の投球フォームの像が現れると、出席者は不世出の投手に思いをはせていた。



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五・一五事件 弁護記録70年ぶり発見 軍国主義への世論転換示す(京都新聞2003-05-14)

裁判から70年ぶりに見つかった五・一五事件の弁論記録

昭和7年(1932)に海軍青年将校らが犬養毅首相を暗殺した五・一五事件で、海軍関係者を裁いた翌年の軍事法廷の弁論記録の一部が14日、裁判から70年ぶりに見つかった。

弁護側は新聞の論調や市民から寄せられた嘆願を引用して「政党財閥特権階級は出処進退ことごとく私利私欲」「天に代わりて誅伐することがどこが悪いか」とテロを称賛、大正デモクラシーから軍国主義への世論の転換を示す資料となりそうだ。

文書は万年筆の手書きで原稿用紙約130枚を綴じており、民間愛好家がインターネット上のオークションで入手した。

冒頭に「五・一五事件(海軍側)弁論要旨」とあり、文中で筆者は「林逸郎」と自称。裁判は公開で、当時の報道や出版物によると昭和8年(1933)9月15、16日に林逸郎弁護士(元日弁連会長、故人)が将校側に立って弁論をしており、記事と文書の内容がほぼ一致している。

弁論は政財界の腐敗を指摘。世論がクーデター計画に同情していることを強調し「国民の総意であるということを…(中略)…無視致しますことは忠孝一本の国民道徳への挑戦」と訴えている。

検察側は首謀者に死刑を求刑したが、同年11月の判決は最高でも禁固15年に軽減された。

戦前の日本政治に詳しい玉井清・慶応大学教授は「これだけ詳しい弁論の記録は公刊されていないと思う。五・一五事件の裁判は思想を主張するショーのようになり、報道は被告を英雄にした。その後の言論に与えた影響は大きい。冷静な報道と厳しい処罰があれば(歴史は)別の展開になっただろう」と話している。

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コルチャック先生像が完成(京都新聞2002-08-08)

第二次世界大戦中の1942年8月、孤児たちとともに強制収容所のガス室で処刑されたユダヤ系ポーランド人教育者、ヤヌシュ・コルチャック(Janusz,Korczak)の記念像がワルシャワ市内のユダヤ人墓地に建てられ、6日、落成式が行われた。

小児科医でもあったコルチャックは、孤児教育に情熱を捧げたが、大戦勃発後はワルシャワのユダヤ人地区でナチス・ドイツの監視下に置かれ、脱出のチャンスがあったにもかかわらず、収容所に送られる約200人の子供たちと運命をともにした。

コルチャックの業績は、ポーランドを代表する映画監督アンジェイ・ワイダ氏の「コルチャック先生」で世界的に知られるようになった。記念像の建設費約7万5000ズロチ(約220万円)は、英国在住のユダヤ人篤志家が寄贈した。

→(参考)日本コルチャック記念実行委員会

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