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明治時代の仇討ち事件で冊子―本埜/千葉(毎日新聞2006-12-15)

房総半島の漁村で起きた仇討ち事件の真相を知りたい―本埜村滝の会社員、飯高秀二さんが自分の先祖が関わった明治時代の仇討ち事件の真相を調べ『仇討ち事件と房総のアワビ漁』(北総ふるさと文庫)にまとめた。

鴨川市の仁右衛門島付近は嘗てあわび漁が盛んで、その漁業権を巡り、村の富豪・平野仁右衛門と、漁民たちが争っていたという。ある日、漁民の代表・飯高善左衛門の変死体が発見された。善左衛門の3兄弟は仁右衛門の仕業とみて仇討ちをする

この事件で3兄弟は刑を受けたが、飯高さんは「浜波太漁業組合文書」『千葉県関係補遺史料』を研究し、鮑漁業権を巡る争いが事件以前からあったことを立証した。飯高さんは「これまで漁業権紛争は一方の史料だけで語られてきた。もう一方の史料を説明することで歴史の真相に迫れる」と話している。

B6判35ページで定価200円。問い合わせは飯高さんへ。

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米騒動 記憶に刻んで(朝日新聞2006-12-12)

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◇モニュメントが完成 魚津・大町海岸公園に

米騒動を象徴するモニュメントが、魚津市にお目見えした。米騒動発祥の地とされる旧十二銀行の米蔵近くに市が整備した大町海岸公園に設置された。

モニュメントは、船の舳先と米俵3俵で、当時の米俵の積み出しをイメージしたデザイン=写真。高さ1・4m。台座は魚津の海岸をイメージし、ビー玉や貝殻で砂浜を、モザイクタイルで富山湾の青さを表現している。

市がデザインを公募し、応募があった7社・1個人の17作品の中から石川県小松市の会社の作品を採用した。

大町海岸公園は、面積1270uで、うち880uに芝を張った。東屋やトイレ、ベンチ、照明灯3基などを整備した。モニュメントを含めた総事業費は約5300万円(用地買収費を含む)。地域住民が維持・管理する予定。

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奇跡の再会ドラマ化 蜂谷さん夫妻、俳優と対面(日本海新聞2006-11-05)

主演の2人と談笑する蜂谷さん夫妻(中央)

旧ソ連に抑留され、半世紀を経て劇的な帰国を果たした蜂谷弥三郎さん=鳥取市気高町勝見=と、夫の帰りを待ち続けた妻・久子さんの半生がドラマ化されることになり、同市内でロケが行われている。4日にはロケ現場を夫妻が訪ね、主演の阿部寛さん、黒木瞳さんと対面。手を固く握り合い心を通わせた。

弥三郎さんは、野菜作りや講演活動などを続けながら元気に暮らしており、ロシアでの支えとなった元妻、クラウディア・レオニードヴナ・ノイビコワさんと手紙や電話のやりとりも続いているという。

夫妻は、2人が愛を確かめ合うシーンが撮影された白兎海岸ロケで、若き日の“自分”と対面。弥三郎さんは阿部さんの印象を「背が高く、とても頼もしい」と笑顔で話し「日本人の誇りを持って生きた姿を知ってもらえたら」とドラマに期待を寄せた。

弥三郎さん役の阿部さんは、本人と固い握手を交わし、「苦労を乗り越えた優しさが、お二人から滲み出ていた。弥三郎さんが納得できる作品になれば。これからもお元気で長生きを」と温かい言葉を送った。

黒木さんは「笑顔の久子さんを拝見し、胸が一杯になった。真実の夫婦愛を、多くの人に見てもらいたい」。白兎海岸の印象を「ほのぼのとした気持ちになれた」と笑顔を見せた。

鳥取ロケは、とっとりフィルムコミッションが全面支援。エキストラで出演した本城義照さん=鳥取市=は「鳥取の素晴らしさを伝える手伝いができれば」と張り切っていた。

ドラマ「遙かなる約束アベシャーニェは5日の鳥取ロケでクランクアップ。25日午後9時から、フジテレビ系列で放送される。

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バリアフリー京都観光(読売新聞2006-10-30)

車椅子でも回れる京都の観光地を本にまとめたスタッフたち

中京区の出版社「ユニプラン」が、車椅子やお年寄り向けの観光ガイド本『車いす・おとしよりのためのバリアフリー京都観光』を出版した。京都御所東西の本願寺東福寺高台寺など名所28か所の段差やトイレの写真を紹介、読者自身が目で見て、行けるかどうかを判断できるように仕上げた。高齢化社会、そして京都ブームで、こうしたガイドブックの需要は多いといい、同社は「京都は無理と思い込んでいる人を後押しできれば」と話している。

ユニプランの橋本良郎社長が、タクシー運転手から「寺社の美しい写真が並んだガイドは多いが、段差やトイレの情報を必要とする人も多い」との声を聞き、8、9年前にお年寄りらを対象にしたガイド本を作った。この本は絶版となったが、ここ2、3年、問い合わせが相次ぐようになり、再編集して出版することにした。

今回は、京都の約40の寺社などに企画書を出し、「協力したい」と返事が来た施設を取り上げた。編集部のスタッフの早川友恵さんら3人が取材し、寺務所などの担当者の説明を聞きながら一緒に歩いた。

冊子では、見開き2ページを使い、地図を中心に入口や境内の道路、段差、階段や休憩所などの写真を配置。車椅子で行けるルートを紫の点線で示し「この場所の観覧は困難」「庭は平坦なので車椅子でも安心」などのコメントを添えた。山の上にある清水寺も車椅子使用者の〈裏ルート〉があることを紹介。事前連絡のうえ、入口でインターホンを押せば寺務所につながり、境内の奥まで車が入れるよう道路の柵を下げてくれる。

こだわったのはトイレ。どの施設にも必ず写真を掲載し、手擦りの位置や広さが一目でわかるようにした。「障害によって手擦りの必要な位置が違うそう。字では伝えにくいので、写真はしつこいくらい載せた」と早川さん。

レストランも段差がなく車椅子で入れる23店を紹介した。早川さんらは「少しずつ京都もバリアフリーになってきている。事前に情報があれば、介助する人も車椅子の人も、京都を楽しめる度合いが全然違うはず」と話している。

A4判、128ページ。2500円(税込み)。問い合わせはユニプランへ。


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“欧亜の架け橋”敦賀港に着目 シンポジウムで港の歴史振り返る(福井新聞2006-10-28)

敦賀港みなと観光交流促進協議会は28日、敦賀市きらめきみなと館で「欧亜の架け橋 敦賀」と題し、シンポジウムを開催した。ユダヤ人難民の受け入れなどで関わりの深いポーランドからもゲストを招き、国際港として発展してきた敦賀港の歴史を改めて振り返った。

ワルシャワ大学教授のエヴァ・ルトコフスカ氏や敦賀短大地域総合研究所長の多仁照廣氏、日本海地誌調査研究会会長の井上脩氏らをパネリストにディスカッションを行った。ワルシャワ日本大使館調査員の桜井佳乃氏がコーディネーター役を務めた。

今回は敦賀港が大正9年(1920)にポーランド孤児、昭和15年(1940)にポーランド系ユダヤ人難民の上陸地となったことに着目し、意見を交わした。多仁氏は「敦賀港は物資だけでなく、心の交流も盛んだった。この歴史的事実をもう一度見直して、まちづくりに繋げていかないといけない」と訴えた。また、多摩大学の望月照彦教授も「民族、宗教を越えて助け合った歴史を生かし、『物語都市』として世界に発信していくべき」と提言。「両国の子供たちが交流できるような取り組みを」「敦賀での足跡を明らかにしていくことが重要」などと意見を交わした。

また、エヴァ教授は「これを機に、改めて敦賀との関係についても研究を行い、新たな史料を探していきたい」と意欲を示していた。

同シンポジウムは、国が行う「みなと観光交流促進プロジェクト」のモデル港に選ばれたことを受けて実施。今後、来場者へのアンケート調査結果などを踏まえ、来年度以降の具体的な観光振興策を協議していく。

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『筑波かすみ』が里帰り 79年ぶりにアメリカから(東京新聞2006-10-25)

里帰りを果たした「筑波かすみ」と学芸員のデルレーさん

昭和2年(1927)に「友情の証し」として日本からアメリカに贈られた人形「筑波かすみ」が24日、79年ぶりに故郷茨城に里帰りし、支援者とともに県庁を訪問した。国内で約半年間の修復作業の後、来年5月から6月にかけて県内4か所で展示される。

筑波かすみは、アメリカから日本各地に贈られた「青い目の人形」の返礼として渡った58体の1つ。米ウィスコンシン州ミルウォーキー公立博物館に所蔵されていた。人形に傷みがあるため、県内有志でつくる筑波かすみ里帰り実行委員会が、博物館側と交渉し、修復のための帰国作業を進めてきた。

当時と同じ水色の着物姿で、木製の顔や足にひびが入っていたが、一部は博物館側で修復した部分もあった。今後、東京の人形メーカー「吉徳」で傷み具合を調べ、修復作業後の来年7月にアメリカに戻る予定。

里帰りに同行しているクリスティン・デルレー同博物館主任学芸員は「修復後は博物館のメーンロビーで、湿度や温度を管理したケースで保存したい」と話している。

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西尾為治像(京都市左京区)「八ッ橋」中興の祖―道ばた史料館(京都新聞2006-10-21)

熊野神社境内にひっそりと建つ「八ッ橋」中興の祖、西尾為治氏の銅像

京銘菓「八ッ橋」発祥の地と伝わる左京区の聖護院地域。その中心にある熊野神社境内に、ステッキを持った和服姿の紳士の銅像が立つ。元禄時代にできたとされる八ッ橋の中興の祖、本家八ツ橋西尾株式会社12代目の西尾為治氏だ。

晩年を知る同社の岩佐慎一郎相談役によると、為治氏は、若い頃やり手の「営業マン」だった。南座緞帳どんちょう市電の花電車を媒体にして信用を高め、寺社や軍関係者に働きかけて全国に京土産「八ッ橋」の名を轟かせたのだという。

体長は約1・3m。平成6年(1994)、平安遷都1200年を記念して親族の手で同神社に建てられた。台座の隅に刻印のようなものがあり、作者らしき名前の横に「昭和四十×年…」の文字。この時期に銅像だけ先に造られ、本店応接室に置かれた後、移設された。

銅像は本殿を向き、参拝者の背中を優しく見守っているようでもある。同社の岸本匡美宮司は「信心深いお方だったと聞いていますので、ここにいられて喜んでいることでしょう」と語る。

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民俗学会研究奨励賞:県立大大学院生の老さん、桶風呂論文で受賞/滋賀(毎日新聞2006-10-20)

◇県内38市町で聞き取り―使用は近世末からを解明

県内の民家で使われた桶風呂についてまとめた、県立大学大学院人間文化学研究科博士後期課程の老文子さんの調査論文「桶風呂の形態と使用域―滋賀県を中心とした事例研究」が、日本民俗学会の研究奨励賞を受賞した。19日、老さんが発表した。桶風呂燃料や水の節約、肥料生産施設としての役割も果たし、嘉田由紀子知事が掲げる「もったいない」精神を先取りしていたことも分かり、興味深い。

底のない丸い桶を鋳物製の平釜の上に据え、少量の湯を沸かして体をつける桶風呂は、桶に笠や蓋をして蒸気で桶内を温めると、湯温浴と蒸気浴の中間的性格も持つ。

老さんは平成13年(2001)5月〜14年(2002)3月、38市町で計82件の聞き取りや文献調査を行った。その結果、桶風呂の使用は喜多川守貞の随筆『守貞謾稿』などの記述から近世末まで遡ることを解明。使用域を湖北から湖東を中心に湖南まで確認したが、湖西では使用域に入らないと言う。

農家では、桶風呂の残り湯を小便所に流して肥料として使ったり、燃料や水の節約のため、近所の数軒組で交互に風呂を沸かして入浴し合う「もらい風呂」をしていた事も分かった。1940〜60年代、桶風呂から温浴風呂に切り替わったが、農村部では肥料生産施設などとして1970年代まで桶風呂が使われたことも明らかにしている。

老さんの論文は道具学会『道具学論集』第11号に載った事から日本民俗学会の目に留まり、35歳未満の若手研究者の育成を目的に創設された同奨励賞に他の1人とともに選ばれた。老さんは「今後は県外の桶風呂が使用がどの程度に広がるかを調査し、桶風呂文化の範囲を確定したい」と話している。

― ◇ ◇ ◇ ―

→(参照)滋賀県立大学「県大ニュース」から受賞記事

→(参考)老文子「桶風呂の形態と使用域―滋賀県を中心とした事例研究」(『道具学論集』11)

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全国初の女性教師 生誕200年、黒沢止幾の生家 競売申し立て(茨城新聞2006-10-19)

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◇関係者ら保存訴え 城里

幕末の女傑で全国初の女性教師として知られる黒沢止幾ときの生家=城里町錫高野=がある土地が、水戸地裁に競売申し立てされていることが18日、分かった。土地は止幾の子孫が印刷工場経営のために借金した際の担保物件となっており、生家を保存してきた地元や教育関係者は一様にショックを受けている。今年は止幾生誕200年として市民らが催しも計画中。関係者は「生家だけでも何とか保存してほしい」と各方面に支援を訴えている。

止幾生家は築400年とも云われ、伝統的な茅葺き屋根の日本家屋。生家の中には、止幾が開いた寺子屋の机や土間、民具、隣接の資料館には止幾直筆の文献写しや資料が保存展示されている。敷地内には止幾の顕彰石碑もある。

古い建物のため建築物登記はされていないといい、子孫の住居や工場のある土地の一部として、競売物件となっている。

水戸地裁の担保不動産競売開始決定書によると、土地は昭和61年(1986)と平成5年(1993)に、銀行から限度額計7200万円を借り入れする担保として根抵当権が設定。平成17年(2005)、債権は銀行から債権回収会社に譲渡され、計約2600万円の債権として同社が今回、競売を申し立てた。物件は10件に分かれ、うち1つが生家にかかっているとみられる。

生家の修復や保存に関わってきた隣接の蕎麦店主、大沢敏男さんは「伝記だけではなく生家があれば、実感をもって止幾を知ることができる。保存の方法を考えなければ」と話す。

生誕200年の今年、同町内では展示会(12月14日まで開催中)、記念式典とウオーキング(11月11日)や記念祭(同23日)が計画されている。関係者は「文化的遺産が競売になるのは異常な状態。なくなってしまったら大変な損失」と危機感を表明、「ボランティアや行政の支援も求め、支援の輪を広げたい」としている。

→(参照)「黒沢止幾子、錫高野」「桂村商工会」観光案内 より)

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時代祭の歴史など解説 三条の商店街、リーフレット作製(京都新聞2006-10-18)

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幕末の池田屋騒動跡地などで知られる三条小橋商店街の振興組合(京都市中京区)は、22日の時代祭に合わせて祭りの歴史や周辺史跡を解説する本年度版のリーフレットを作製した=写真。

リーフレットは、時代祭の由来や登場人物などを分かりやすく説明。今回は新たに周辺商店の自慢の逸品もカラー写真で紹介している。1万5000部作った。

祭りの当日午後1時半頃から、弥次さん、喜多さんの格好をした商店主らが商店街周辺で配布。ユーモアあふれる行列の実況アナウンスや舞妓さんとの記念撮影会もある。

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伊勢型紙で東海道五十三次再現 鈴鹿で180点展示(中日新聞2006-10-15)

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伊勢型紙彫刻組合の創立60周年記念展が14日から2日間の日程で、鈴鹿市庄野羽山のベルシティで始まった。

安藤広重東海道五十三次伊勢型紙で再現した型紙と藍染め作品、重要無形文化財保持者の遺作、伝統工芸士ら現代の名工の作品、江戸時代に伊勢参宮の土産物となった型紙の富久絵など約180点を展示した。

同組合は鈴鹿の伝統工芸品の伊勢型紙彫刻師で創る。組合員は43人。木村孝司組合長=同市岸岡町=は「組合には嘗て300人いたが、今では減少し高齢化と後継者難が課題。多くの人たちが伝統の技に触れる機会になれば」と話す。

会場では来年の干支の猪のミニ色紙や栞を彫る無料体験コーナーもあり、買い物客が楽しんでいた。

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「サッちゃん」の詩碑除幕 大阪、所縁の幼稚園に(京都新聞2006-10-14)

童謡「サッちゃん」の歌詞が刻まれた詩碑

「サッちゃんはね サチコっていうんだ ほんとはね…」―童謡「サッちゃん」の作詞者、故阪田寛夫さんが卒園した大阪市阿倍野区の南大阪幼稚園で14日、詩碑が完成し除幕式が行われた。

詩碑はタイルを鏤めた壁に、縦約1・2m、横約1・8mの黒い御影石のプレートを埋め込み、3番までの歌詞を刻んだ。

阪田さんは生前、同園で一緒だった1級上の女児を意識して「サッちゃん」を作詞したと明かしていた。童謡と同園の所縁が分かるものを作ろうと、園関係者や阪田さんの知人らが計画した。

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巨椋池立体地理模型が登場 久御山町役場1階ロビー 町民文化祭(来月4、5日)まで展示中(洛南タイムス2006-10-12)

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久御山町役場1階ロビーに11日、巨椋池おぐらいけ立体地理模型が登場した=写真=。嘗ての巨椋池を町域に収める久御山では、在りし日の姿を確認できる模型に早くも注目が集まっている。来月4・5日の町民文化祭まで展示される予定。

地理立体模型(2・4m×1・7m)は東西14・4q・南北10・2qを1/6000に縮尺したもので、近畿農政局・巨椋池農地防災事務所が干拓地に対する理解や防災意識高揚のために製作した。

立体地理模型は、すり鉢状になった巨椋池干拓田を中心に、山城盆地の高低差を精密に表現している。干拓事業が始まる前の昭和7年(1932)の巨椋池や、昭和28年(1953)の水害で水に浸かった範囲がボタン操作で点灯する仕組みになっている。また、干拓地における中段流域と下段流域の排水路もボタン操作で確認できる。

模型は5月から宇治市歴史資料館の企画展などで展示されてきた。その後、今月7〜10日までJR京都駅ビルで開かれていた「第29回全国土地改良大会(京都大会)・水土里フェスタ」で設置され、1日も空かず、そのまま11日に久御山町にやって来た次第。

この日、午前中に設置作業が完了。早速来庁した住民が見物し、地元に大きな被害をもたらした昭和28年水害が話題になっていた。町では「地元の人が気軽に見れる機会ができて良かった」と話している。

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「丸物」時代再現の模型展示 近鉄百貨店京都店(京都新聞2006-09-29)

人気スポットだった「丸物」時代の建物を再現したミニチュア模型

近鉄百貨店京都店(京都市下京区)の前身「丸物」時代の建物を再現したミニチュア模型が、同店で展示されている。丸物は嘗て市民に親しまれた人気スポットで、昭和の懐かしいレトロな模型が市民を喜ばせている。

ミニチュア模型は、現在の外観の原型となった昭和11年頃(1936)の建物を再現した。来年2月に閉店する同店が、感謝フェア企画「ドールハウス展」の目玉展示として用意した。

ミニチュア造形作家の内山正一さん=伏見区=が現物の1/75サイズで制作し、大きさは幅と奥行きが90p、高さ60p。屋上に嘗てあった特徴的な尖塔「マルブツ」の掲示看板周辺を走行した市電も丁寧に仕上げ、当時の賑わいぶりを表している。展示は4日まで。

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富岡製糸場が一般公開 繰糸工場と東繭倉庫の内部(中日新聞2006-09-28)

富岡市は27日、国史跡で重要文化財の旧官営富岡製糸場について、11月にも、無料で内部の一部を一般公開する方針を明らかにした。26日の市議会で、内部公開に併せて入場を有料化する議案は否決されたが、世界遺産への登録運動を盛り上げるために先行して内部公開に踏み切る。内部の一般公開は初めて。見学コースや解説、駐車場も充実させる。

◇11月にも無料で

公開するのは、国重文で、明治5年(1872)に創建された繰糸工場東繭倉庫1階の一部。同工場天井の「小屋組」は木材を複雑に組み合わせた独特の工法が用いられ、床には昭和62年(1987)の操業停止時のまま機械が保存してある。2階建て木骨煉瓦造りの東繭倉庫は、創建時の柱が、当時の面影を伝える。

同倉庫1階の一部には、50枚前後のパネル展示や数種類のビデオを放映するスペースを設け、売店も開店。見学コースには、西繭倉庫中庭や、近くを流れる川の景観が楽しめるブリューナ館周辺も加える。現在は休日と予約時のみに行っている約1時間の解説を平日に拡大し、回数も1日6回に増やす。

場内の駐車スペースが狭いため、製糸場近くに乗用車50数台分の駐車場とトイレ、大型バス数台分の駐車スペースをそれぞれ整備。市は観光客に古い街並みが残る製糸場周辺を散策しながら来場してもらう考え。今後は一帯の無電柱化を進め、観光情報拠点や地場産品の飲食店なども設ける。

製糸場は8月の入場者が過去最多の約6700人となり、世界遺産登録運動の影響が表れ始めている。市幹部は「内部の一部公開や設備の充実を先行させ、維持・管理や整備に必要な有料化への理解が深まるようにしたい」と話している。

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新総理と安倍宗任 一族の捲土重来に思い?(盛岡タイムス2006-09-27)

新首相に26日指名された安倍晋三氏は、前九年の役で九州に流された安倍宗任の子孫を名乗っている。安倍氏の父で外相だった晋太郎氏は生前、盛岡タイムス社が平成元年(1989)にに発刊した『安倍一族』に「我が祖は宗任」と題した序文を寄せ、一族のルーツを明らかにしている。晋三氏も自民党の党務で来県した際は宗任を祖と仰ぎ、前九年の役にまつわり本県との所縁に触れることがあった。

歴史を紐解くと前九年の役貞任は戦没し、弟の宗任は伊予の国に流された後、九州の太宰府に再度流された。その後は伝承が入り交じっており、九州一円に安倍姓宗任の末裔を名乗る家系があるという。

安倍氏は山口県の衆院4区選出だが、晋太郎氏は「安倍一族」の序文で「筑前大島に没した安倍宗任の後裔である松浦水軍が、壇ノ浦の合戦平家方として参戦、敗れ散じた我が父祖が、長門の国、先大津後畑の日本海に面した部落に潜み、再度転居の後、現在の地(山口県大津郡油谷町蔵小田)に住むこととなった」と一族のルーツを明らかにしている。

晋三氏は自民党幹事長代理当時に盛岡入りした際の懇談会などでは、敢えて古風に「安倍(の)晋三」と名乗るなど、宗任の血筋を意識していた。政策の柱として打ち出した「再チャレンジ」には、安倍一族の捲土重来の思いもありや―。

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雉本博士の生涯 舞台化(朝日新聞2006-09-26)

地元に残る雉本朗造博士の銅像。地元の人の努力で戦時中の供出も逃れた

◇鳴海小作争議で尽力 来月、地元住民ら企画

大正時代、名古屋市緑区、南区(当時の鳴海町、笠寺村鳴尾)で起きた「鳴海小作争議」で、小作人の権利を守るために尽力した法学者、雉本きじもと朗造ときぞう博士の生涯を題材にした演劇「野に立つ」が、名古屋市内で10月に上演される。苦しかった庶民の歴史を後世伝えたいと、地元の人たちが企画した。

鳴海小作争議が起きた鳴海地区では6年前、地元の住民らが企画して小作争議についてシンポジウムが開かれ、雉本博士の生涯に光を当てた。これに続き、地域の歴史をもっと知ってもらおうと、住民グループが小作争議を取り上げた劇「みどりのうたを創作。平成15年(2003)11月に緑区の緑文化小劇場で初演され、地域内外から注目を集めた。

鳴海小作争議
大正6年(1917)、旧鳴海町と旧笠寺村で、不作に苦しむ小作人が、地主に納める米の減免を求めたのが発端。裁判に慣れない小作人らは、地元ゆかりの雉本朗造博士に協力を求め、雉本博士も小作人側に加わり、法廷闘争を支えた。

雉本朗造
東京で生まれ、父の死に伴い、3歳で笠寺村鳴尾(当時)へ。苦学をしながら東京帝大法科を最優秀の成績で卒業。ドイツに留学した後、京都帝大法科教授に。日本の民事訴訟法の第一人者とされ、リベラルで進歩的な考え方の持ち主だったとされる。鳴海小作争議の裁判の和解を目前とした大正11年(1922)、瀬戸内海を旅行中に船上で行方不明となり、その後水死体で見つかった。


今回は、当時の庶民の生き方をもっと深く描こうと「みどりの唄」を手直しし、題も「野に立つ」に変えて上演することになった。演じるのは、会社員や主婦ら演劇のアマチュアが中心。本番に向けて、舞台での練習に汗を流している。

上演実行委員長を務める中京大学名誉教授の野原敏雄さんは「多くの若い人たちに地域の歴史に興味を持ってもらいたい」と話している。

上演は、10月20〜22日、名古屋市中区栄三丁目の名古屋市青少年文化センター(ナディアパーク11階)のアートピアホールで。

問い合わせは、上演実行委員会まで。

劇の公開に先立って、今月30日には、名古屋市昭和区の中京大学で、「雉本朗造と現代」というテーマでシンポジウムも予定されている。

― ◇ ◇ ◇ ―

(参考)「米騒動と小作争議/争議と雉本博士」『月刊グリ』「緑区いまむかし」第4号=1999年11月号=より)


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広沢真臣夫妻の墓(山口市赤妻町)―栗林和彦の山口周辺(サンデー山口2006-09-22)

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尊皇攘夷を早くから志した広沢真臣は、山口ではあまり知られていない。慶応2年(1866)幕府からの勝海舟による休戦談判の際、山口政庁は広沢を代表とし、大田市之進、井上馨、長松文輔の4人を選んだ。宮島大願寺の協議で対等連合を提言した気骨者の広沢に、勝は無益な戦いに終止符を打つことが出来たと喜んだという。

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「回天」映画で大津島に注目(防長新聞2006-9-18)

内部が緻密に再現された回天操舵室の模型

人間魚雷「回天」を題材とした映画「出口のない海」が上映される周南市のテアトル徳山入り口に、映画の撮影に使用された回天操舵室の模型が展示されている。

「回天レプリカ等保存協議会」が撮影終了後に譲り受けたもので、映画の上映期間中に展示する。

また、映画の1シーンや周南市での撮影風景などのパネルも併せて紹介される。

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熊野古道の魅力を視覚障害者に伝えたい 奥伊勢歴史学習会の森田さん(中日新聞2006-09-14)

宮川沿いの渡し場跡付近を視察する森田宏さん

熊野古道の踏破を目指す愛知県の視覚障害者らが23日から2日間、大台、大紀両町を歩く。案内役を務めることになった奥伊勢歴史学習会の森田宏さん=大台町下楠=は「沿道の豊かな自然や文化を実感してほしい」と、危険個所の確認や資料の収集、整理など、準備に忙しい。

少年期に網膜剥離で全盲となった名古屋市東区の山田弘さんが「歩く自由、歩ける喜びを実感したい」と企画。12人前後が参加を予定している。

山田さんらは平成13年(2001)に名古屋から東京、同16年(2004)に名古屋から京都までの東海道を完歩。次の目標として世界遺産の登録で注目を集める熊野古道を選んだ。同19年(2007)秋までに伊勢神宮(伊勢市)と熊野本宮大社(和歌山県新宮市)を結ぶ伊勢路約230qの踏破を目指している。

一行は7月29、30日に伊勢神宮内宮宇治橋から大台町のJR栃原駅まで約28qを歩いており、今回は栃原駅から大紀町崎までの約34qを歩く計画。森田さんの案内で下三瀬の宿場跡、宮川沿いの渡し場跡、滝原宮などを巡る。

森田さんなど、大台町民らによる奥伊勢歴史学習会は、これまで熊野古道の踏査などに取り組んでおり、県を介した山田さんからの依頼を快諾した。

「外出の機会が限られがちな視覚障害者たちにとって貴重な体験になるはず」と期待を寄せる山田さん。森田さんは「視覚に頼ることなく、熊野古道の魅力を全身で感じられるような案内を」と準備に余念がない。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代

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