| カテゴリ 近現代

残雪の野麦峠、女工姿で歩く 先人の苦労体験(岐阜新聞2008-05-19)

女工姿で残雪の峠道を歩き、先人の苦労を体験する子どもたち

明治、大正時代に、飛騨の女性が信州の製糸工場へ出稼ぎに行った女工哀史の舞台として知られる岐阜、長野県境の野麦峠(1672m)で18日、第26回野麦峠まつりが開かれた。地元高山市高根町の子どもたちは、女工姿などで峠道を辿り、先人の苦労を体験した。

同祭りは、同市の高根村観光開発公社と、峠で接する松本市の観光関係団体で創る実行委員会が開催。

旧野麦街道のうち、松本市側から高山市高根町野麦のお助け小屋までの1・3kmを歩く記念山行には、子どもから大人まで高山市の約70人を含む約400人が参加。子どもたちは、女子はかすりの着物に手拭いを被った女工、男子は歩荷ぼっか姿で、落ち葉や残雪に覆われた山道を進んだ。

朝日小学校6年生の下林英里奈ちゃん=同町中洞=は「険しくて、もっと雪があったら大変だと思う。家族のために生き生きと働きに出掛けた事は凄い」と、女工たちの逞しさに思いをはせていた。



野麦峠を行く(読売新聞2008-05-19)

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高山市高根町の野麦峠で18日、「野麦峠まつり」が開かれ、同市と長野県松本市の小中学生らが旧野麦街道を歩き=写真=、小説『あゝ野麦峠』(山本茂実著)で描かれた当時の女子工員の苦労を偲んだ

野麦峠は、明治時代から昭和初期にかけ、飛騨地方の少女が長野県諏訪地方の製糸工場で働くために往復した。

まつりは今回で26回目。旧野麦街道の約1・3kmを歩く「記念山行」には、松本市立奈川小中学校の児童生徒ら約75人が参加した。

かすりの着物を着た女生徒らが標高差約300mの険しい峠道を約1時間かけて登った。


posted by 御堂 at 01:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代
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