| カテゴリ 中世

忠広公座像「里帰り」 鶴岡の有志、熊本訪問(河北新報2008-04-24)

里帰りする加藤忠広公座像を前に説明する松田副会長

虎退治で有名な熊本54万石の名将、加藤清正の墓碑が残されている山形県鶴岡市から、清正親子を慕う住民が25日、熊本城築城400年祭が行われている熊本市を訪れる。清正の嫡男忠広座像を持参し、庄内で無念の最期を遂げた主君を「里帰り」させる。

一行は、「荘内加藤清正公忠広公遺跡顕彰会」の41人。顕彰会は、山形県指定史跡・清正公墓碑「五輪塔」がある天沢てんたく寺周辺の丸岡地区の住民で組織している。

熊本に向けて一行は、寺に伝わる忠広座像を携え、熊本城本丸御殿に一時的に鎮座させる。城内の加藤神社では、丸岡地区に伝わる「桐箱踊り」を奉納。熊本に伝わる「銭太鼓ぜんじゃこ踊り」がルーツという説もあるため、双方が踊りを披露し合うという。

顕彰会は明治45年(1912)に発足し、毎年7月に清正公大祭を行ってきた。墓の存在を巡る論争もあり、長く熊本とは疎遠だったが、寅年の昭和61年(1986)と平成10年(1998)に2度、熊本を訪問し、交流の機運が高まった。

結び付きを深めた逸話もある。平成4年(1992)、鶴岡市が国体サッカー成年男子の会場になり、丸岡地区の11世帯で熊本選手団約25人の民泊を受け入れた。チームは予想を覆す4強入りの大活躍。「2人の殿様が力を貸してくれた」と互いに喜び、草の根レベルで友情の輪が広がったという。

一昨年、顕彰会の松田安男副会長が熊本市内で行った加藤家に関する講演も、地元で改めて「清正以後」に目が向けられるきっかけとなり、「肥後加藤清正公忠広公顕彰会」が誕生。荒木章博代表は「大事に祭ってきてくれた山形の皆さんにお礼が言いたい」と感無量の様子だ。

松田副会長は「昨年に築城400年となった城に戻れて、忠広公も喜んでくれるはずだ」と話している。



忠広公の像、376年ぶり熊本城へ里帰り(熊本日日新聞2008-04-25)

熊本城の本丸御殿・昭君の間に安置された加藤忠広の座像

山形県鶴岡市の「荘内加藤清正公忠広公遺跡顕彰会」の41人が25日、熊本市を訪れ、85年前に熊本から贈られた忠広座像を、熊本城本丸御殿昭君しょうくん之間」に安置。加藤家改易から376年ぶりに嘗ての城主が“里帰り”した。

清正の跡を継いだ嫡男・忠広は、徳川幕府から謀反の嫌疑をかけられ寛永9年(1632)、出羽(山形県)に配流となり、54歳で死去するまで約20年間を過ごした。顕彰会は忠広が住んだ丸岡城跡近くの住民らが大正2年(1913)に結成。清正公祭を開くなどして親子を偲んでいる。忠広座像は高さ約50cmの木像。大正12年(1923)に熊本から贈られたと伝えられ、丸岡城跡の隣にある天澤てんたく寺に祀られている。

熊本城頬当御門で厨子の扉が開かれた忠広座像は、天守閣横を通って藩主の居室だった本丸御殿に入り「昭君之間」の上段に安置された。その後、城内の加藤神社に移動して、祭神の父清正と“対面”。顕彰会メンバーが、忠広を慰めたという「桐箱踊り」を奉納した。熊本からは「銭塘太鼓クラブ」が桐箱踊りのルーツとされる「銭太鼓ぜんじゃこ踊り」を上演したほか、城南幼愛園(熊本市)園児による昔遊びも披露された。

顕彰会の松浦安雄会長は「立派な本丸御殿を見て、此処に忠広公が居られたと思うと涙が出る思い。加藤家が繋ぐ縁を生かして熊本と交流を深めたい」と話していた。一行は清正の墓所・本妙寺(同市)も訪れた。26日に座像と共に帰郷する。



山形に流された清正嫡男 加藤忠広座像“里帰り” 熊本城本丸御殿 鶴岡の顕彰会が訪問(西日本新聞2008-04-26)

熊本城を築城した加藤清正の嫡男で改易処分を受けて山形に流された忠広を顕彰する山形県鶴岡市の「荘内加藤清正公忠広公遺蹟顕彰会」(松浦安雄会長)のメンバーら41人が25日、熊本市の熊本城を訪れ、復元された本丸御殿忠広座像(高さ約40cm)を一時“里帰り”させた。

忠広は寛永9年(1632)、江戸幕府から謀反の疑いで改易処分を受け、山形に移り住んだ。顕彰会は熊本城本丸御殿落成に合わせ、鶴岡市の天沢てんたく寺の寺宝とされる忠広座像を携えて、嘗て忠広も使っただろう本丸御殿を訪れた。

顕彰会のメンバーは、熊本の顕彰団体「肥後加藤清正公忠広公顕彰会」の荒木章博代表世話人や加藤神社の湯田栄弘宮司らと共に本丸御殿に入った。最も格式が高いとされる昭君しょうくん之間」の畳の上に忠広像を置き、天沢寺の住職が経を唱えた。

一行はその後、清正を祀る加藤神社を訪問。忠広を慰めるために踊られたとも伝えられる地元鶴岡の桐箱踊りを奉納した。熊本からは天明銭太鼓ぜんじゃこ踊りが披露された。

湯田宮司は「肥後の国に帰る事に夢を繋いでいた忠広公本丸御殿に帰ってきた。長い旅路だった」と述べ、鶴岡市の顕彰会の松浦会長は「熊本で清正忠広公への強い尊敬の念を感じた。鶴岡でも伝えていきたい」と話した。


posted by 御堂 at 23:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中世
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/95017416
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。