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戦火に散った名投手・嶋清一 DVDで後世に 和歌山(産経新聞2008-01-04)

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昭和14年(1939)の「夏の甲子園」で、和歌山県立海草中学(現・向陽高校)の左腕エースとして、チームを全国制覇に導き、大学時代に学徒動員のため24歳で戦死した投手、嶋清一の偉業を後世に伝えようと、大阪府立高校教諭、山本暢俊さん=和歌山市在住=らが、の写真や生前のを知る人たちへのインタビューなどを収録したDVDを製作した。山本さんは「野球界で大活躍したであろう選手が戦争で未来を絶たれた。その事実を伝えたい」と話している。

は昭和14年(1940)の第25回全国中等学校優勝野球大会に出場。流麗なフォームから繰り出される剛速球に相手チームの打者は歯が立たず、準決勝と決勝でノーヒットノーランを達成するなど5試合を完封し、球史に残る大投手として知られる。卒業後は明治大学に進学したが同18年(1943)に学徒動員で戦地へ赴き、同20年(1945)3月に戦死した。

山本さんは、平成16年(2004)夏、戦時中に和歌山市内で開かれた出征学生らの壮行会の写真を偶々目にする機会があった。海草中野球部の元メンバー6人が、万歳する人たちの前で、神妙な面持ちで正座していた。の存在を知る程度だった山本さんは写真に写る不安げなの表情を見て、「どんな気持ちで壮行会に出たのだろう」と興味を持ち、伝説の投手の人生を辿る作業を始めた。

写真に写った6人のうち、5人は亡くなったが、古角俊郎さんは、那智勝浦町に暮らしていた。「優しくて、人間味のある男」とを評する古角さんは、新宮高野球部監督を務めた時の教え子、田中弘倫さんを山本さんに紹介。田中さんがDVDの製作を企画し、山本さんらと取材や撮影を進めた。

古角さんの証言やと対戦した事がある元近鉄バファローズ監督の西本幸雄さんらの話を中心に、現在の向陽高野球部の練習風景も収めた。

「当初抱いていた“豪腕”というイメージは取材が進むにつれて変わった。気が良くて人に優しい、繊細な人」と山本さんは振り返る。また、古角さんは「あの戦争では、その後も生きていたら野球の歴史を塗り替えた人たちがたくさん亡くなった」と訴えた。DVDは非売品で、県立図書館や高野連などに寄贈された。

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posted by 御堂 at 22:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代
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