鳥羽市街を流れる妙慶川の相橋架け替え工事で、市が工事場所にあたる鳥羽城跡の石垣の一部を取り壊す事が13日、分かった。石垣は江戸時代末期のものとされ、石垣の現状保存を訴える市民らが同日、工法の変更を求める要望書を市に提出した。市は「石積み部分を移動させ、記録保存する方向で理解を得たい」としている。
鳥羽城は16世紀末に、豊臣秀吉の家臣だった水軍の将・九鬼嘉隆が築城した海城。城跡は県指定文化財で、大部分が開発され当時の面影を残す遺構は石垣だけになっている。
市建設課などによると、工事に関係するのは高さ2・5m以上ある石垣で、長さ約11m。11月に始まった工事で、石垣の一部から、江戸末期とみられるものが見つかったという。市文化財調査委員の村上喜雄さんらが提出した要望書は「江戸期の石垣はまちづくりの観点からも貴重。橋の架け替え工事の工法を見直すなど再考して欲しい」などとしている。
要望書を受け、市は、橋台を建設するために石垣の現状変更が必要とし、江戸期の石垣は川側に移動させ保存していく事にした。木田久主一市長は「既にスタートしている工事を止める訳にはいかない。記録保存で理解してもらえるよう説明していきたい」と話している。
鳥羽城の石垣ピンチ 工事で取り壊しか(伊勢新聞2007-12-14)
鳥羽市の相橋架け替え工事で、江戸期に築城された鳥羽城のお堀とみられる石垣を壊す可能性がある事が13日、村上善雄・市文化財調査委員の市への指摘でわかった。
村上さんは「工法を変えるなど、保存活用して欲しい」と強く要望。
市は「専門家などの意見を聞くが、国の補助を受けており、計画の変更は難しい」と話している。
工事は、10月から今年度末までの予定で進めている鳥羽市鳥羽の妙慶川に架かる全長9m、幅約5mの橋の架け替えで、橋の両岸の幅約11m、高さ2・5mの橋台を架ける部分の石垣を壊す予定。
市教育委員会が、橋周辺の埋め立ての経緯を示す明治時代の地籍図を基に3月に試堀をした結果、昭和10年(1935)の前回の架け替え時に積まれた石垣の奥に、江戸期のものとみられる古い石垣が出てきたという。
しかし、石垣を残したまま強度のある橋を造るのは工法上不可能で…
相橋架け替え 鳥羽城の石垣撤去へ 鳥羽市文化財調査委「保存すべき」(読売新聞2007-12-15)
鳥羽市が架け替え工事を進めている妙慶川にかかる同市鳥羽の相橋(全長9m、幅4・9m)で、江戸時代に築城された鳥羽城の堀の石垣を含む橋台部分が、工事により撤去される事がわかった。市文化財調査委員は、市側に「貴重な文化財であり、保存すべき」と訴えている。
撤去予定の石垣は、相橋南側の長さ11m、高さ2・5m部分。市教委などによると、明治初期の地籍図などから、江戸時代に造られた堀の一部だった事が判明している。鳥羽城は九鬼嘉隆が文禄3年(1594)に築城、敷地は約10万6000uとみられ、「鳥羽城跡」は県文化財に指定されている。
相橋架け替え工事は今年11月に始まり、来年3月末まで予定。市は計画変更なども検討したが、周辺の用地買収などの問題から、現状のまま石垣を保存する事は難しいといい、移動させ、記録保存をしていきたいとしている。
市文化財調査委員の村上喜雄さんは「撤去する前に、専門家の意見も聞いてもらいたい。今ある状態で残して欲しい」と話している。
鳥羽城跡の石垣・瓦展示(朝日新聞2008-04-09)
鳥羽市中心部を流れる妙慶川の相橋架け替え工事現場で、昨年12月に見つかった江戸時代の石垣の調査報告展が鳥羽歴史文化ガイドセンターで始まった。6月1日まで。
妙慶川は、鳥羽城跡の北側を流れる。相橋の架け替えのため掘削したところ、南北両岸の土中から石垣と、鳥羽藩主の稲垣氏の家紋入りの瓦などが発掘された。
保存を求める声もあり、鳥羽市は工法の変更などを検討したが、工期、予算、構造上の問題から断念。石垣を一旦取り壊し、橋台前に積み替える事を決定し、調査結果を出土品と共に展示した。
調査の記録、発掘写真、江戸時代の古絵図、大正時代の写真パネル、瓦、陶器片など出土品約50点。入場無料。
→(参考)●「鳥羽城跡発掘調査報告」(鳥羽市HPより)