◇一揆の首謀者慰霊
京丹後市大宮町上常吉の集落から少し外れた与謝野町との境目にかかる平地峠。
そのほぼ中央部の小高い山裾にある平智山地蔵院境内の一角に、穏やかな表情を称えて府内で最も背が高いといわれる「平地地蔵」が立ち、行き交う人々を温かく見守っている。
合掌する姿で、高さ5・3m。台座も含めると約7mもある。
文政5年(1822)冬、この地を支配していた宮津藩の重税などの圧政に耐えかねた農民が決起した「文政丹後一揆」が起きた。
「義を見てせざるは勇なきなり」と、3万人とも5万人ともいわれる農民たちを率いたとされ首謀者の一人、常吉村出身の吉田新兵衛は、その責めを受けて処刑された。一揆の11年後、新兵衛らの霊を慰めるために村などから集められた浄財で像は建立されたと伝わる。
それと共に、一揆の首謀者を弔う事ができなかった時代的な背景から、峠に出没する山賊を仏の功徳で退散させるとの名目で作られた、という説も地元には残る。
平地地蔵は当時、丹後一円に多くの作品を残した鱒留村(京丹後市峰山町鱒留)の石工、松助の代表作とされる。同市文化財保護課の橋本勝行技師は「立像の大きさと交通の要衝に建てられている事などから、信望の厚かった人物像が浮かび上がる」と話す。
こうした村の歴史を伝え残す昔からの行事が、毎年7月23日夕方から営まれる「地蔵祭」。諸霊を慰める読経などで先人の苦労を偲ぶ。また、境内周辺には夜店が並び、静かな山里は今年も歌謡ショーなどが催され、涼を求める参拝客らで賑わった。
雪深い土地柄だけに毎年11月23日には、檀家世話人会が、藁で編んだ防寒用の頭巾と蓑を着せる。この「みの着せ行事」は、丹後の初冬の風物詩としても広く知られている。
世話人会代表の大木秋男さんは「先祖供養の意味もあり、大切な地域のシンボル。今は夏の盛りですが、今年も時期になれば春先までの約4か月間を温かく過ごしてもらえるように心を込めて蓑を着せたい」と語る。
平地地蔵には口の右上に黒い斑点があり、「あざとり地蔵」とも呼ばれて親しまれている。転じて交通安全や安産など諸願成就の信仰を集め、近隣から参拝者も多い。また、世話人会が手編みで作る蓑と頭巾は計約60sの重さ。約4か月間身に纏い、雪解けの春を待つ。
蓑着てぬくぬく 京丹後 平地地蔵が冬支度(京都新聞2007-11-23)
京都府京丹後市大宮町上常吉の平智山地蔵院で23日、府内一の高さで知られる「平地地蔵」に地元住民の手で、藁で編んだ防寒用の頭巾と蓑が着せられ、冬支度が整った。
与謝野町との境にあり、平地峠を見下ろす地蔵は、台座を含めて高さ5・3m。宮津藩の圧政に立ち上がった「文政丹後一揆」の中心人物で、処刑された地元出身の吉田新兵衛らの霊を慰めるため、天保3年(1832)に村の浄財で建立されたと伝わる。安産とあざ取りの地蔵として信仰を集めている。
この日は、早朝から檀家世話人会(6人)が集合。地蔵に梯子をかけ、総重量約60sの頭巾と蓑を着せ付けた。大木秋男代表らは「これでお地蔵さんも安心して冬が越せます」と笑顔だった。
作業後は同院を管理する近くの常林寺で、地元児童が今秋出版された絵本『新兵衛じぞう』の朗読会を行い、郷土史への理解を深めた。
地蔵さんも防寒…京都・京丹後(読売新聞2007-12-13)
京都府京丹後市大宮町の常林寺末寺境内にある高さ5・3mの「平地地蔵」に巨大な蓑と頭巾が着せられた。「せめてもの防寒に」との住民の思いで百数十年前から続いている行事という。
蓑は高さ約3m、幅約3・5m。檀家で創る「世話人会」が糯米の藁を編んで数年に一度新調しており、今年は11月下旬に6人掛かりで蓑を着せた。
平地地蔵は江戸後期の一揆の首謀者2人を弔うため、天保3年(1832)に建立。世話人会代表の大木秋男さんは「地蔵さんも蓑を着て温かそう」と話していた。
京丹後の百姓一揆を発掘(京都民報2007-12-22)
京丹後市大宮町の平智峠の寺に聳え立ち、地域の住民らが大切に守っている地蔵にまつわる百姓一揆の歴史を発掘した資料集『平智地蔵の謎』と、絵本『新兵衛じぞう』がこの程、あまのはしだて出版(宮津市)から同時出版されました。
平智地蔵は、文政一揆で処刑された指導者吉田新兵衛の霊を慰めるため、村の浄財で立てられたと伝承されてきました。
郷土史家の安田正明さん(故人)と妻の千恵子さんが12年がかりで、寺に残る古文書を解読、分析。新兵衛を悼んで丹後地方はもとより、関西一円から7万5000人による寄付を集めて、高さ5mの巨大な地蔵を建立した経過を突き止め、資料集となったものです。
絵本は、民衆の勇気と知恵が、絵本作家津田櫓冬さんの美しい絵と文で綴られ、全国学校図書館の協議会の推薦図書となっています。
資料集は税込み2100円。絵本は同1680円。問い合わせは、あまのはしだて出版へ。