戦前、故杉原千畝氏の「命のビザ」で福井県敦賀市に上陸したユダヤ難民の行動や、市民との関わりなどを調べてきた日本海地誌調査研究会が、調査結果をまとめた報告書『人道の港 敦賀』を発刊した。聞き取り調査などから、ユダヤ難民にとって敦賀が単なる通過点ではなく、市民と交流があった事が分かった。
昭和15年(1940)9月から同16年(1941)6月まで、敦賀に入港したユダヤ難民は約6000人といわれる。敦賀駅から列車で神戸などに向かい、米国など国外へ旅立っていった。
同研究会は殆んど知られていない当時の実情を記録に残そうと昨年3月、会員8人で「敦賀上陸ユダヤ難民足跡プロジェクトチーム」を結成。今年3月まで1年間かけ、聞き取りを中心に調査した。
聞き取りは70、80歳代の市民ら28人に実施。ユダヤ難民が敦賀駅に溢れていたり、街中を歩いていたという目撃談が得られた。
更に、港近くの銭湯が浴場を無料開放した事や、駅前の時計店が時計を買い取ったり、食べ物を提供していたなどの証言があり、市民との交流の一端も分かった。
聞き取り以外でも時計店が買い取った時計の実物、ユダヤ難民が宿泊した旅館の写真も見つかった。
報告書ではこの他、大正時代に敦賀へ入港したポーランド孤児や、昨年10月から旧敦賀港駅舎で開かれているユダヤ難民の足跡などを紹介したパネル展「人道の港 敦賀」についても解説している。
報告書はA5判、64ページで1000部印刷。国会図書館や外務省外交史料館、福井県、市の関係団体、市内の小・中・高校、短大などに配布した。希望者には実費で販売する。問い合わせは同研究会の繁田良三さんへ。
ユダヤ難民の足跡 冊子に…日本海地誌調査研究会(読売新聞2007-12-11)
◇「命のビザ」で敦賀上陸 林檎あげた/銭湯無料開放…市民28人聞き取り
福井県敦賀市の郷土史研究に取り組む「日本海地誌調査研究会」は、第二次世界大戦中、敦賀に上陸したユダヤ難民の足跡を調査してまとめた冊子『人道の港 敦賀』を発刊した。綿密な聞き取り調査で、当時を知る市民の貴重な証言も明らかになり、同研究会は「敦賀に優しさに満ちた歴史があった事を学ぶきっかけにして欲しい」と願いを込めている。
敦賀港には昭和15年〜16年(1940〜41)、第二次世界大戦中のリトアニア領事代理、杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を手に、ナチス・ドイツの迫害を逃れて数千人のユダヤ難民が上陸したとされる。だが、難民の行動や市民との交流については殆んど伝えられていなかったため、同研究会は昨年3月にプロジェクトチームを発足させ、調査を進めてきた。
「歴史の空白」を埋めるために聞き取りを行った市民は28人。「私の兄が気の毒な難民に林檎をあげた」や、「銭湯が難民のため無料で浴場を開放したが、後の掃除が大変だった」など、当時の様子を生き生きと伝える証言が集まった。報告書には他に、調査で発見した難民が売却した時計や宿泊した旅館などの写真も掲載した。
報告書はA5判、64ページで1000部発行。大半を市内の小・中学校などに寄贈した。プロジェクトチームの古江孝治・事務局長は「貴重な史料を残す事ができた。今後も調査は続けるので、市民の皆さんは是非協力して欲しい」と話している。