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平川に伝わる「隊中様」(サンデー山口2003-04-06)

平川に伝わる「隊中様」

平川の小出集落から鋳銭司方面に抜ける山道の途中、鎧ヶたおという所に「隊中様」と呼ばれる墓がある。明治初期に悲劇的な死を遂げた1人の若き兵士藤山佐熊すけくまを祀ったもので、ここに参ると病気が治り、願い事が叶うと言われる。130年以上経った今も地元を中心に信仰する人が多く、今年も4月9日(水)にささやかなお祭りが行われる。

郷土史『平川文化散歩』などに拠ると、阿東町嘉年出身の藤山佐熊は慶応3年(1867)、「奇兵隊」と同様に武士や農民で結成した諸隊の1つ「振武隊」に入隊。旧幕府軍との戊辰戦争では他の隊と共に出動し、軍医として活躍した。

しかし、動乱が収まると、新政府は過大になった諸隊を整理、版籍奉還に伴い武士からは領地を取り上げた。これらの処遇に不満を持った「隊中」と呼ばれた諸隊の兵士約2000人が決起し、藩政府(現山口県庁)を強襲。藤山も反乱軍に加わり平川の恒富にいたが、鎮静に乗り出した政府常備軍に追いつめられ、明治3年(1870)に鎧ヶ峠で狙撃され、22歳の若さでこの世を去った。

藤山は鎧ヶ峠付近に駐屯した時に村人の病気を親切に診てあげ尊敬を集めていたという。そのため、村人は彼の遺体を葬り、墓を立てて供養。それが何時しか「隊中様」と呼ばれ、墓に参ると病気が治り、願い事が叶うという噂も広まり、参詣者が増え、ひと頃は近くに茶店が立ち並ぶ程だった。明治5年(1872)、県は賊軍の墓が信仰の対象になることを危ぶみ、墓辺の鳥居などを取り壊し、参詣を禁止したが、その後もお参りする人が途絶える事はなかったという。

隊中様のお祭りは、古くから地元住民らで創る奉賛会が中心になり、藤山の命日にあたる2月9日に行っていた。しかし、雪などで山道が閉ざされた事もあり、40年程前から2か月後の4月9日に開催している。決して大きな規模ではないが、地元の人たちにとっては欠かす事のできない大切な行事の1つだ。世話人の松永孝行さんは「隊中様は我々の先祖がお世話になった人物。派手な祭りではないが、感謝の気持ちを忘れず、若い人に語り継ぎ、これからも続けていきたい」という。

当日は午前11時から墓前で供養のための神事を実施。墓はかなり山奥にあり、お参りできない人もいるため、麓の小出公会堂にも祭壇を設ける。また、参詣者には地元婦人部が作った赤飯、山菜の煮物などが接待される。

問い合わせは、平川公民館へ。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近世
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