京都の景観を色鮮やかに描いた『洛中洛外図屏風』のうち、最も古い作品が何時描かれたのか、絵の内容から特定する研究が行われ、室町時代の大永5年(1525)に描かれた可能性が高い事がわかりました。
『洛中洛外図屏風』は、室町時代から江戸時代にかけて描かれた凡そ100点の作品が残され、都での暮らし振りや街の移り変わりを知る貴重な資料となっています。
千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館は、このうち享禄3年(1530)前後に描かれ、最も古いとされる重要文化財の作品について、絵の内容から制作過程を探る研究を進め、今日東京で発表しました。
先ず注目したのは、室町時代に管領という権力者の地位に就いていた細川家の屋敷の中央に座っている若い男性です。
この時期、若くして細川家の当主になったのは大永5年(1525)4月に18歳で当主となり、半年後に亡くなった細川稙国という人物だけで、この絵は同年に描かれた可能性が高い事がわかりました。
また、絵の片隅には絵師の姿が描かれ、当時、狩野派の中心だった狩野元信が住んでいた場所と一致する事から、この作品は元信が描いたと推定しています。
博物館の小島道裕准教授は、「今後は時期のわかる歴史資料としてこの作品を扱う事ができるようになった。他の洛中洛外図についても登場人物に着目した研究を更に進めたい」と話しています。
細川管領家の栄華描く 『洛中洛外図屏風』で新説(京都新聞2007-09-01) 『洛中洛外図屏風』 戦国の実力者、栄華を誇示(産経新聞2007-09-21)
室町時代に描かれた『洛中洛外図屏風』(重要文化財)は、管領として幕府の政務を総轄した細川高国が自らの栄華を誇るため御用絵師狩野元信に描かせたとする説を、屏風を所蔵する国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が31日発表した。
同館の小島道裕准教授によると、『洛中洛外図屏風』はこれまで、名所図会や風俗画の性格が強いとされ、描かれた建物の研究が中心だった。この作品に登場する多数の人物についても解明されていなかったが、小島准教授は建物の位置や構造などとの関係を分析し、その中から実在した権力者を初めて特定した。
屏風の細川邸の正面には、高国から家督を譲られたばかりの当主稙国、後方に出家した高国が、更に近くの将軍邸に顔を隠した12代将軍足利義晴が描かれているという。家督譲渡と、将軍の新御所建設を機に描かれたとみられる。
大永5年(1525)4月に家督を譲られた稙国は同年10月に死去しており、屏風はその間に制作されたと推定。同時代の絵師だった狩野元信の作である可能性が強まった。
小島准教授は「『洛中洛外図屏風』が権力者の顕彰に利用されるようになった事を示す資料だ。これ以降、権力者とその都市を描く一連の屏風が狩野派主流によって残されるようになった」と指摘している。
戦国時代の京都が描かれた、現存最古とされる『洛中洛外図屏風』(歴博甲本)について、当時の幕府の実力者で管領だった細川高国が、幕府の御用絵師だった狩野元信に命じて描かせたという説を、所蔵する国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が発表した。
同博物館の小島道裕・准教授は、屏風の左半分(左隻)に描かれている幕府の位置から、屏風の製作時期を大永5年(1525)の4〜10月の間とみて、左隻の中心にある細川宗家邸の正面に描かれた人物を高国の息子の稙国、細川邸の奥に描かれている人物を高国と特定。屏風の構図などから、12代将軍、足利義晴を擁立して幕府の実権を掌握した上で、この年、稙国に家督を譲って権力の絶頂期にあった高国が、自らの栄華を誇る目的で狩野元信に描かせたと推定した。
屏風には高国親子のほか将軍義晴、細川分家(典厩家)の尹賢・氏綱親子、更に狩野元信の自画像まで描かれている―というのが小島准教授の解釈だ。
室町時代から江戸時代にかけて数多く描かれた『洛中洛外図屏風』について小島准教授は「これまでの研究では、屏風は名所図会や風俗画の性格が強く、描かれた人物は単に点景として描かれたと考えられ、特定の人物を描いているという見方はされていなかったが、人物を特定することで、当時の『洛中洛外図屏風』は、権力者が自らの顕彰を意図して描かせた事が示された」と指摘する。
小島准教授は、これ以降、権力者が絵師に命じて自らの城下町を描かせる図式が定着したと考えており、織田信長が元信の孫の永徳に描かせた『安土城下町図屏風』や、豊臣秀吉の『聚楽第図屏風』に繋がったとみている。
「歴博甲本」作者、狩野元信と推定 国立歴史民俗博物館(朝日新聞2007-10-04)
京都を詳しく描いた『洛中洛外図屏風』の中で最古と言われる「歴博甲本」(重要文化財)について、所蔵する国立歴史民俗博物館は、作者を狩野元信と推定するなどの研究成果をまとめた。
約100点の存在が知られる『洛中洛外図』の中で16世紀の作と言われるのは、歴博甲本、東博模本、上杉本、歴博乙本と呼ばれる4点。残りは17世紀以降の江戸時代に描かれた。「歴博甲本」は現存する『洛中洛外図』では最古で、16世紀前半の作品と考えられてきたが、作者や制作目的など、不明な点が多かった。
歴博の小島道裕准教授によると、史料や文献などから絵の中の個人名を特定していく事で、制作意図や作者を推測したという。
室町幕府の第12代将軍足利義晴を擁立した細川管領家の当主高国は大永5年(1525)、新しい将軍御所を建設し家督を息子の稙国に譲った。高国の統治下で栄える京都の姿を、幕府の御用絵師である狩野元信に描かせたのが甲本だという。更に、稙国は家督を譲られた年に亡くなっているので、制作が始まったのは大永5年と推定できるという。
小島准教授は「甲本は、高国が自分の次の世代の繁栄を願って制作させたと考えられる。高国が絵を頼むとしたら御用絵師の狩野元信だったと推測できる」と話している。
甲本は30日から、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で公開される。
洛中洛外図屏風:室町時代を描写 国立歴史民俗博物館で公開/千葉(毎日新聞2007-11-10)
室町時代の都の様子が窺える国指定重要文化財『洛中洛外図屏風』(歴博甲本)が、国立歴史民俗博物館(佐倉市城内町)で一般公開されている。11日まで。
『洛中洛外図』は京都の名所や四季の風物が盛り込まれており、史料的価値も高い。中でも同屏風は現存する最古のものとされている。
公開前の同館の研究員の調査では、屏風内に描かれている人物のうち、当時の征夷大将軍・足利義晴や管領家・細川高国、稙国親子がいると推定。同館によると、それによって当時の実力者だった高国が打ち立てた政権とその統治下で栄える京の様子という同屏風の主題が浮かび上がったという。