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吉田城石垣の刻印末裔が確認(東海日日新聞2007-06-03)

福島家刻印を確認する末裔・福島正秀さん

豊橋公園内・吉田城石垣戦国武将らの刻印が残っている問題で、豊臣秀吉の家臣として名高い福島正則の末裔が2日現地を訪れ、福島家刻印を確認した。同じ福島家刻印が入った石が名古屋城石垣にあり、同質の花崗岩であることも確かめ、「蒲郡市西浦町の石に間違いない」と太鼓判を押した。

元蒲郡市職員で郷土誌調査員、壁谷善吉さんが、名古屋城が3年後に築城400年を迎えるのを機に、吉田城との関係や西浦石の存在をPRする運動を行っており、歴史ロマンが広がり始めた。

吉田城を訪れたのは福島正則から13代目の直系の子孫で、早稲田大学高等学院教諭で早大講師の福島正秀さん。父親の福島正章氏が昭和30年代、第一銀行(第一勧業銀行の前身)豊橋支店長だったことから、半年程豊橋市に住み、豊城中学校に通った事があるという。

壁谷さんらの運動に応えて訪れた。この日、蒲郡市西浦町の西浦海岸で、埋もれている福島家刻印入り石を確認、その足で吉田城に立ち寄った。

福島氏は「私は半年だったが、弟たちはもう少し長く豊橋で暮らした」と懐かしそうに語り、壁谷さんの案内で北御多門(豊川)近くの石垣福島家刻印と対面した。「西浦海岸で見た石と同じ花崗岩だ。刻印名古屋城と同じもの。素晴らしい」と感想、「2代将軍徳川秀忠を泊めるために堅固な城に改築する必要があったのだろう」。

吉田城にはその他、福島正則と同郷の蜂須賀小六の嫡孫・至鎮刻印毛利家刻印などが確認されている。壁谷氏は「西浦石の使われ方を解明する事で、当時の様子を物証によりはっきりさせたい」と意欲的に語る。
※(参照)→福島正則の若き日の姿見つかる 清洲城主務めた戦国武将(中日新聞2009-04-26)
※(参照)→福島正則の検地帳を初公開(中国新聞2007-03-16)




福島正則公の子孫が蒲郡を訪問(東愛知新聞2007-06-03)

福島正則公の子孫・正秀さん(右)と刻印を指す壁谷さん

戦国大名福島正則公の13代目子孫・福島正秀さん=東京都府中市=が2日、蒲郡市西浦町の海岸を訪れた。福島さんは正則公が名古屋城築城のために、石を採石したとする事について「船で運んだ当時の苦労が思い浮かびます」と語った。

西浦半島の橋田海岸では「井」(井げた)と十字の刻印を、地元の郷土史研究家・壁谷善吉さんが見つけている。何れも正則公が自らの持ち分を示すために刻印を施したとされる。今回は新たに見つかった正則公の刻印の報告会を兼ねて子孫を招いた。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中世
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