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幕末の天才棋士・本因坊秀策顕彰の悲願「生家復元」着工 尾道市・因島合併記念事業「囲碁の館」建設(せとうちタイムズ2007-03-10)

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広島県唯一の市と市が合併した尾道と因島。合併協議のなかで地域文化を融合、継承するのは難しいとされてきた。なかでも囲碁文化という地味な分野の話だから尚更である。旧因島市が誇る幕末の天才棋士本因坊秀策にあやかって、囲碁でまちおこしを―と「市技」に制定したのは平成9年(1997)。以来、まちをあげて囲碁文化の継承や男女の子どもから大人、アマ・プロの競技大会を主催、全国への発信に取り組んだ。こうした流れのなかで、旧因島市が合併前から計画していた、後世、碁聖と仰がれる本因坊秀策生家復元と囲碁資料館の2つを備える「囲碁の館」を合併記念事業として建設する事になった。既に建設用地の買収も完了、建設費1億5124万9000円が尾道市議会に計上されれば同19年度(2007・4〜08・3)に着工、同20年(2008)秋のオープンを目指して準備を進める。地元因島をはじめ全国の関係者にとっては悲願だった半世紀の夢が叶えられる日も近い。

◇囲碁をまちおこしに

「市技」という耳慣れない言葉が旧因島市で誕生した。国技の相撲に倣い全国でも珍しい囲碁をテーマにした発案である。元は、といえば村上水軍の血を引く造船の島、因島である。どうした事か、幕末に天才棋士本因坊秀策を輩出し、昭和の戦後囲碁界のトップ・アマ本因坊、村上文祥(故人)が送り出された。こうした事もあって因島の囲碁愛好者は約3000人。住民の10人に1人が囲碁を嗜み、そのうちの約300人が有段者という囲碁のまちである。

そうした環境を「まちおこし」に活用しようと試みたのは造船業界の構造的不況の波をもろに受け「島が沈む」とまでいわれた90年代の頃から。

◇秀策の隠れた功績

何故、本因坊秀策が近年になって世間一般にまで脚光を浴び、まちおこしにあやかれるようになったのだろうか。

その遺徳顕彰の1つは、秀策没後5年後の慶応3年(1867)4月。広島、三原、尾道など有志の浄財で三原城東3?にある糸崎神社境内に「本因坊秀策師之碑」が建立された。碑文は当時広島藩の儒者木原藉之秀策が幼児の頃より三原藩主浅野候の庇護を受け、商都尾道の大旦那橋本吉兵衛竹下親子の支援などもあって故郷因島が見える糸崎浜松の地を選んだと伝えられる。

そして、大正15年(1926)10月には秀策50年忌に際し、尾道市因島外浦町の生家前碁盤の台座に乗った「本因坊秀策碑」が建立除幕された。裏面碑文は当時三原出身の貴族院議員で法学博士花井卓蔵氏撰。このように顕彰碑が2基も建立されている事は珍しく、秀策が如何に偉大であったかを知ることができる。

2つ目は、14代本因坊秀和「跡目」のまま若干34歳という若さでこの世を去った秀策だが、後世「本因坊」「碁聖」と仰がれた事について異論を唱えた人はいない。

◇殿堂入りした秀策

秀策流という先番必勝法の一・三・五という布石を確立。プロ棋士の登竜門ともいわれる名局の数々を通して後進を導く指針として初心者でも秀策先生に学ぶ事が多い、と日本棋院の棋聖小林光一氏は傾倒する。

日本棋院創立80周年記念事業として、平成16年(2004)11月15日東京都千代田区にオープンした囲碁殿堂資料館。第1回の栄えある殿堂入りを果たしたのは、囲碁を「国技」に高めた天下人徳川家康近代囲碁史の開祖・初代本因坊算砂。後世碁聖と仰がれる島根県仁摩町(現大田市)出身の4世道策と因島出身の14世跡目秀策の4人。

殿堂入りを前にして、一躍有名になったのが秀策。アニメや漫画雑誌に登場。囲碁に縁が薄かった子どもやご婦人層の囲碁ブームに火を点けたのが、『少年ジャンプ』『ヒカルの碁』。初挑戦した囲碁を題材とした漫画雑誌が累計で1800万部を突破したというからホクホクである。原作者(絵コンテ)ほったゆみさんは「登場人物のモデルは秀策さんと所縁の地因島だけ。後は架空の人物と場所」だという。

これが起爆剤となって全国から少年少女が保護者に連れられて因島の秀策生誕の地へ遣って来た。当時の因島市は、秀策顕彰碑の付近の駐車場にトイレを新改築、秀策の墓地に通じる道しるべを立てるなど対応に追われた。

25年前の昭和55年(1980)、旧因島市制27周年記念のイベントとして行われた「名人戦」(大竹英雄名人対趙治勲)の時にはタクシーの運転手が知らなかったという秀策生誕の地だが、現在は全国的に注目を集め訪れる人が急増している。

◇その時歴史が動いた

NHKも秀策の偉大さに注目。昨年5月6日にはBS2(約2時間)で「碁聖・本因坊秀策無敗伝説」を放映。近代囲碁史に残る秀策流「耳赤の一手」をクローズアップ。7月5日には総合テレビ「その時歴史は動いた」「勝負師は志高く〜碁聖・本因坊秀策の無敗伝説〜」が放送された。

囲碁の天才・神童と騒がれた秀策は9歳で古里を離れ江戸本因坊家入門三原浅野藩からの囲碁留学修業が始まった。家元で受けた教育は囲碁の指導研鑽を通してただ強くなるだけでなく、人としての品格をも植え付ける人間形成だった事にスポットを当て、幕末の動乱期、家元が文化を担う時代から「大衆文化」に姿を変えていく経緯に迫った。

◇NHK教育で再放送

NHKは昨年5月にBS2で「初心者にもわかる名勝負」というサブタイトルで「耳赤の一手」などを放映したあと、7月には総合の「その時歴史は動いた」秀策の無敗伝説を放映、反響を呼んだ。その一方で、再放送を望む声も多くこれまで番組編成を検討していたが、春の高校選抜野球中ならと、3月25日午後1時05分から同2時55分まで教育テレビで再放送することを決めた。

34歳という若さで激動の幕末期を駆け抜けた本因坊秀策跡目であったにも拘らず碁聖・本因坊と仰がれる要因に

 ・徳川幕府が主催した「お城で前人未到の19連勝
 ・稀にみる温厚な人柄、沈着冷静、礼儀正しく孝道

など数々のエピソードが挙げられる。その秀策を偲ぶメッカ「囲碁の館」に寄せる思いを描ける場所の創設にかける期待は大きい。



名称は「本因坊秀策記念館」(中国新聞2007-05-24)

本因坊秀策記念館の完成イメージ図(手前左が資料館、右後方が復元生家)

尾道市は24日、本因坊秀策の生誕地・因島外浦町に計画している「囲碁の館」の実施設計案を公表した。名称を「本因坊秀策記念館」とし、近く入札を実施して着工し、平成20年(2008)秋の開館を目指す。設計案では、秀策生家跡傍に約1100uの敷地を購入。木造平屋の生家を復元し、鉄筋平屋の資料館を建設する。総事業費は約2億1100万円。うち約1億8800万円は合併特例債を充てる。



本因坊秀策記念館を建設へ 尾道(朝日新聞2007-05-27)

本因坊秀策記念館の完成予想図。手前が資料館、向こうが復元の生家

囲碁を「市技」に制定している尾道市は、同市因島外浦町出身で江戸時代末期「碁聖」と呼ばれた本因坊秀策を讃える囲碁の館「本因坊秀策記念館」(仮称)の建設を7月にも始める。同町の生誕地に隣接する土地生家を復元するほか、秀策愛用の碁盤や碁石などを展示する資料館を建設し、来秋の開館を目指す。囲碁文化継承の拠点として、囲碁のまち・因島の新名所を目指す。

秀策は母に囲碁を学び、9歳で江戸へ出て、幕府碁所四家筆頭の本因坊家に入門。20歳で第14世本因坊跡目になった。将軍の御前対局の御城碁で19連勝の記録を立てたが、同34歳で亡くなった。

建設地は、昭和47年(1972)まで生家があった因島石切神社の南で、広さは約1100u。民有地を購入した。生家は同神社に残る見取り図を基に復元する木造平屋建ての78u。和室4室、台所、土間などを設け、市民らの囲碁の場にも使ってもらう予定。

資料館は鉄筋コンクリート平屋建て417u。碁盤、碁石のほか秀策の食膳、江戸にいた秀策が故郷の両親に宛てた手紙、生家の家相図など30点を公開する。敷地内に碁盤の材料になる萱を植える。総事業費は約2億1100万円。入館は有料の予定。

これらの資料は、秀策の縁者が宮司を務める因島石切神社が所有している。現在は同神社境内の「本因坊秀策記念館」で展示されており、市の記念館建設に伴い市に寄託する。桑原利恵宮司は「神社の記念館には年に数千人の囲碁ファンが訪れていて、因島のPRに役立つならと寄託に応じた」と囲碁文化継承に期待している。

記念館建設は、平成9年(1997)に囲碁を市技に制定した旧因島市の構想を、合併後の尾道市が市技と共に引き継いだ。




本因坊秀策記念館7月にも着工 尾道市因島で(産経新聞2007-05-30)

幕末の天才棋士、本因坊秀策囲碁の情報の発信拠点として尾道市が整備を進めている「囲碁の館 本因坊秀策記念館」の実施設計がまとまり、市が完成予想図を公表した。7月にも着工、来秋のオープンを目指す。同市因島外浦町の秀策の生誕地に隣接した敷地に、秀策が建てた家屋を復元した建物と資料館の2棟を建設秀策の縁者から寄託される遺品などを展示するほか、囲碁教室などにも活用する。

復元されるのは、秀策が万延元年(1860)年に、故郷の両親のために建てた家屋。隣接する秀策の兄の子孫が宮司を務めてきた因島石切風切宮の境内に昭和47年(1972)まで残っていたが、老朽化のため取り壊された。現存する新築時の間取り図と解体前の写真を基に、復元図が作成されていた。

木造平屋建てで78u余り、台所や土間のほか和室が4部屋ある。市は、和室で希望者が対局できるようにし、茶室としても使って、来館者が休憩できる機能を持たせたいとしている。

資料館は鉄筋平屋建てで416u。秀策所縁の品を置く常設展示室と、その他の囲碁文化を発信する企画展示室、収蔵室、研修室などが設けられる。展示される遺品は、子供の頃に愛用した碁盤と碁石、両親に宛てた手紙など、石切風切宮から寄託されるものが中心。現在は、同神社内の記念館で展示されている。

「秀策記念館」の建設は旧因島市が計画し、平成13年度(2001・4〜02・3)から調査などに着手。17年度(2005・4〜06・3)に基本計画を策定した。同18年(2006)1月の合併にあたって、尾道市が計画を引き継ぎ、18年度(2006・4〜07・3)に用地買収と実施設計を進めていた。総事業費は、約2億1100万円を見込んでいる。

posted by 御堂 at 01:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近世
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