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幕末に活躍 小栗上野介 殺害直後の古文書発見(東京新聞2007-03-05)

発見された小栗上野介殺害直後の古文書

幕末に勘定奉行陸軍奉行などを歴任した小栗上野介が、領地の旧倉渕村権田(現高崎市)で新政府勢力に殺された直後、首が運ばれて継嗣や家来も殺害された様子を記録した古文書が、安中市板鼻の旧家で発見された。古文書は県立歴史博物館(高崎市)が買い取り、関係者は「歴史の空白を埋める貴重な史料」と注目している。

古文書は昨年夏頃、板鼻宿の本陣跡に近い旧家の蔵から見つかり、前橋市の古本屋が購入。昨年秋に同博物館が購入し、解読を進めている。

古文書は和紙に墨で書かれ、縦約16p、幅約55p。先ず新政府勢力に屈した高崎安中両藩が、権田から上野介の首を持参して帰った経緯を伝えている。

続いて、高崎藩に出向いていた上野介の継嗣・又一と家来3人も、打ち首となった史実を公表する高札の写しを記載。

最後に、高崎藩などが又一の首を(上野介の首と共に館林にいた新政府勢力へ)持っていき、家来3人の首が晒された様子を綴っている。

ただ、宛て名や差出人、日付がなく、主に高崎での出来事を書いた記録が約5q西の板鼻に残った理由は分からない。

同博物館の小山友孝主任専門員は「高崎の関係者が板鼻に送ったか、板鼻の関係者が高崎にいた可能性が考えられる」と推測。「内容からすると、捏造する理由はなく、古文書は本物とみていい。上野介の死に関連する公文書はあるが、殺害後の状況と又一らの死の様子を記した古文書は他に確認できない。庶民の視点が興味深い」と史料の価値を評価する。

上野介の墓がある東善寺(高崎市)の村上泰賢住職によると、又一小栗家と同じ旗本から迎えた養子。殺害時は21歳の若さで、外交交渉のフランス語通訳に加えられた逸材だったという。

上野介の研究家でもある村上住職は「内容からすると、高崎で書かれた古文書では。上野介の首が運ばれ、又一らが殺された様子を記した古文書が出たのは初めて」と指摘。「文末に小栗家の悲劇を嘆く言葉が添えられている。地元の人々が小栗家に同情的だった様子が分かり、胸に迫る」と感慨を込めている。

この旧家の子孫、中田邑子さんは「高崎には昔から親類がおり、古文書が書かれた当時の先祖は高崎でも手広く仕事をしていたと聞いている。古文書が残っていたのは誇り」と先祖に思いをはせている。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近世
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