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「28年、南部大水害」の記憶起こす 「災害は忘れずやってくる」 久保田市長も恐怖の被災体験話す(洛南タイムス2006-08-26)

2氏から、水害の貴重な体験談も語られた集い

「災害は忘れずやってくる」をテーマに25日に宇治市文化センターで、53年前の昭和28年(1953)8月と9月に府南部で大勢の犠牲者が出た大水害の記憶を振り返り、ダムが果たす治水の役割を知る集いが開かれた。各地で発生している集中豪雨被害から、防災に対する市民の関心は高く、会場には定員の400人を大きく超す人が集まった。宇治市と国土交通省淀川ダム統合管理事務所が主催した。

5歳の時、出身地の井手町玉水で、局地的に襲った集中豪雨で、堤防の決壊と山手からの鉄砲水で、濁流の中、家族と一緒にに長時間彷徨った恐怖体験を持つ久保田勇市長も講師として生々しい体験を話した。

7時間で400o、府南部で出た336人の犠牲者のうち、107人の死者が集中した井手町を襲った南山城水害について市長は「軒並み家が将棋倒しとなり、残された屋根にしがみついたまま、木津川の堤防まで流され、更に押し流されて多賀地区で、当時の宇治保安隊の救助に命を助けられた。避難した中学校の体育館横は、死体洗いの場となっていた。まさに地獄だった」と、被災地の様子を伝えた写真をスライドで会場に流しながら、今も鮮明に記憶として残っている水害体験を話した。水への恐怖から、宇治に移り住んでからも「小学校2年までは、怖くて宇治橋も渡れなかった。まず、住民の命を守る責務があると考えている」と、行政の長として常日頃考えている役割にも言及した。

当時、城南高校生として井手町の被災地に救助隊として参加した経験もある辻昌美さん(槙島東地区防災対策会議会長)が続いて、講演。1か月後の台風13号による集中豪雨で、宇治川堤防が向島で決壊。旧巨椋池の宇治市槙島、小倉、久御山などが完全に水没。家屋や田畑にも大きな被害が及んだ。天ヶ瀬吊橋や橘橋なども流され、宇治橋も流される寸前の濁流に洗われた水害体験を、貴重な映像を織り交ぜて話した。

あと、天ヶ瀬ダムをはじめ淀川水系に建設されているダムが治水面で果たしている役割を淀川ダム統合管理事務所の神矢弘氏が話し、昭和39年(1964)に都市ダムとして、初めて完成した天ヶ瀬ダムの建設の様子を写した記録映画が上映された。

― ◇ ◇◇ ―

→これは、宇治市民の僕にとっても、生活をしていく上でおろそかにできない問題です。僕の叔母(母の義姉)は久保田市長同様に玉水の出身で、この集中豪雨で両親を亡くしたそうです。自身も製糸の境を彷徨うなど臨死体験したそうです。

また、母は台風13号による浸水被害で実家が床下浸水したそうです。宇治市宇治地区は宇治川よりもセロメートル遅滞の地形にあるので、堤防が決壊すれば、ほとんど浸水被害は避けられません。

僕自身も通っていた中学校はそうした場所に立地していたので、大雨だ!宇治川の水があふれるぞ!ってな状況になると、休校措置が取られました。

そうした水害からの被害をなくそうと天ヶ瀬ダムが完成したのです。

小学校時代、宇治の歴史を習う中で、槇島のような輪中地区の構造、宇治川の構造を習い、なぜ天ヶ瀬ダムが誕生したのか―などもしっかりと学習しました。

実際、天ヶ瀬ダムがあったとしても、宇治川ラインから自動車が墜落し、隠元橋まで15分程度で流されるくらい、宇治川は急流なのです。

もし、天ヶ瀬ダムがなかったら、川の流れは一体どうなっているでしょう?それこそ、過去の水害被害を全く学習していないことになりませんか?

現在、脱ダム化とか言って、治水政策に関し苦言を呈している人たちがおられます。でも、現実に恐ろしい思いを体験した叔母や母にとっては、「こういう人たちは経験していないから好き勝手な事を言えるのよ」と言っています。まさにその通りだと僕も感じます。



瀬田川洗堰「全閉」撤廃へ 100年の治水策、国交省転換(京都新聞2007-01-12)

国交省が将来的に全閉操作を撤廃する方針を示した瀬田川洗堰

国土交通省は12日、琵琶湖から流れ出る水量を調節する瀬田川洗堰(大津市)で、洪水時に下流の大阪府や京都府を浸水被害から守るため堰を完全に閉め切る「全閉操作」について、将来的に撤廃する方針を初めて示した。明治時代から1世紀にわたって続いてきた操作方法が見直されることになり、上流の琵琶湖周辺の犠牲を前提とした治水対策から、流域全体でリスクを分担する方向に転換する。

◇嘉田知事「願いかなった」

同日午前に開かれた国土交通相の諮問機関、社会資本整備審議会の淀川水系河川整備基本方針検討小委員会で、同省河川局が明らかにした。

同局は「一部の地域の犠牲を前提として、その他の地域の安全が確保されるものではなく、流域全体の安全度の向上を図ることが必要」との認識に立ち、計画論として「嘗ては琵琶湖から常に(自然と)流れ出ていたことに鑑み、洗堰の全閉操作は行わないこととする」とした琵琶湖・淀川流域の基本理念案を示した。

その上で計画規模を超える洪水が起きた場合には、流域全体でリスクを分担するため、洗堰の全閉操作や淀川に排出する沿川の排水ポンプの運転停止などの対策を一体的に講じることとした。

また、淀川水系で川幅が狭い桂川の保津峡(亀岡市)、木津川の岩倉峡(三重県上野市)の開削については「極力行わないことが望ましい」との見解を示した。

全閉操作は南郷洗堰の時から始まり、昭和34年(1959)8月に25時間閉鎖されるなど、戦後だけで7回実施されている。

現在の治水対策は洪水時の全閉操作を前提に、人家が密集する下流の淀川では200年に1度、琵琶湖を含む上流部は100年に1度の洪水にそれぞれ対応する。滋賀県は「計画上、安全度の低い琵琶湖周辺が全閉操作で浸水の危険をより増大させられている。不条理だ」と解消を求めてきた。

小委員会に臨時委員として出席した嘉田由紀子知事は「全閉操作の解消が明確に示され、県民の長年にわたる願いをくみ取っていただいた。県民と共に意義深く思う」と話した。

◇洗堰の全閉操作

明治38年(1905)の南郷洗堰完成に伴って始まり、昭和36年(1961)に完成した瀬田川洗堰にも引き継がれた。平成4年(1992)には、淀川の大阪府枚方市地点で水位が3mを超え、更に危険水位を超える恐れがある場合や、下流の天ヶ瀬ダム(宇治市)が下流への放流量の調節を始めた場合に行うことなどが、操作規則に明文化された。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 古代
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