「平成の大改修」がほぼ終了した松山城。平成16年(2004)10月から約2年にわたる改修工事期間中、天守の壁に使われていた板の裏面から約150年前の江戸後期のものとみられる“落書き”がこの程見つかった。市松山城総合事務所は「当時の職人の遊び心や、松山藩の穏やかさが伝わってくる貴重な資料」と話している。
松山城天守は天明4年(1784)元日、落雷で焼失。文政3年(1820)から再建工事に着手し、32年をかけて復興した。落書きが見つかったのは、天守2階の南側にある長さ195p、幅17pの下見板の裏面。左右両端の2か所に墨で描かれており、同事務所は復興時の再建工事に携わった大工が描いたとみている。
お武家さま、そう怖い顔なさらんと(毎日新聞2006-11-27)
改修工事中の国重要文化財・松山城天守閣の壁板の裏から、約150年前の江戸後期に描かれたとみられる武士の似顔絵が見つかった。松山市の松山城総合事務所は、当時の改修工事にかかわった職人が落書きしたとみている。来月3日から天守閣1階ギャラリーで公開する。
工事に伴い、天守閣3階の長さ約2m、幅約15pの壁板を接がしたところ、1枚の裏に墨で2図柄描かれていた。右側の紋付きを羽織った武士は、口をへの字に曲げ、厳しい表情=写真左。服装などから現場監督をする「作事奉行」ではないかという。左側は、侍の頭を真上から見た図柄だった=同右。
松山城は慶長8年(1603)に築城、天守閣は安永8年(1779)に落雷で焼失。天守閣の修復工事は5年がかりで嘉永5年(1852)に完成した。当時、高さ約21mの天守閣で作業していた職人が、見回りの奉行を見下ろしながら落書きした可能性がある。同事務所の岸紀明所長は「工事の仕上げの時期にピリピリしていた武士たちを、笑って眺めていたのかもしれない」と話している。
お奉行さま、そう怒らんと 松山城に江戸時代の落書き(西日本新聞2006-12-02)
松山城天守閣(松山市、重要文化財)の約40年に1度の改修工事で、接がした壁板の裏に描かれた武士の似顔絵が見つかった。松山城総合事務所は、江戸時代後期の再建工事で職人が落書きしたとみている。
壁板は長さ約2mで幅18p。黒い墨で武士の絵が2か所に描かれていた。1つは真正面からの絵で、目を吊り上げ、口をへの字に結んだ厳しい表情。裃の線がうっすらと見える。
もう1つは、真上から見下ろしたような丁髷頭の絵で、紋付きを羽織っている。服装などから工事の現場監督をしていた「作事奉行」とみられる。同事務所は家紋を分析し、誰の似顔絵なのか推定したいという。
同事務所の森正経学芸員は「工事を厳しく監督する奉行の似顔絵を描いて、クスクス笑っていたのでは」と想像。平和な時代の穏やかな武士と職人の関係を浮かび上がらせる貴重な発見としている。
松山城は慶長7年(1602)から加藤嘉明が築城。天守閣は明和8年(1779)に落雷で焼失したため、文政3年〜嘉永5年(1820〜52)に再建された。
天守閣の改修工事は11月末に終了。落書きの壁板は3日の落成式の後、小天守1階のギャラリーで一般公開される。