◇奈文研の山本さん、講演で紹介/「難波津の歌」手習いも
奈良市の奈良文化財研究所(以下、奈文研)の公開講演会が28日、同研究所の平城宮跡資料館講堂で開かれた。都城発掘調査部史料研究室の山本崇研究員らが登壇。山本さんは「木簡調査の100年」をテーマに、ここ数十年の発見ばかり注目される木簡が実は100年前から見つかっていたことや、兵庫県姫路市で21年前に見つかった木簡に『古今和歌集』の歌が記されていたとわかったことなどを紹介した。
◇100年前の木簡
平城宮跡で一番最初に見つかった木簡は昭和36年(1961)1月出土のもの。「
しかし、最近は「文字が書かれた出土品」全般を「木簡」とみるようになったことから、山本さんは「実はもっと古い発見例があります」。「第1号」以前に発掘されていた木簡は実に21例あり、最古の発見は明治37年(1904)2月に香川県志度町(現さぬき市)の寺で見つかった札だという。
奈文研(当時は奈良国立文化財研究所)が明日香村の飛鳥寺跡で発見した舎利容器の外箱も、「第1号」以前。これまで注目されていなかったが、これが奈文研による最初の発見例ということになった。「私もこれは知らなかった」と山本さんも驚いたという。
◇姫路の和歌木簡
こうして木簡は最近も増えている。昭和62年(1987)末に全国約9万3700点だったのが、この10月には34万点を超える勢いだ。
その1つが、姫路市の辻井遺跡で見つかった「難波津の歌」木簡。『古今和歌集』の「難波津に/咲くやこの花/冬籠り/今は春べと/咲くやこの花」という歌を手習いしたものだった。
昭和60年(1985)に出土したが、文字が薄くて判読できなかった。平成16年(2004)になって山本さんらが赤外線デジタル写真を撮って調べ、内容がわかった。同じ歌を書いた木簡は他に17例あるが、下の句まで全文を推定できるのはこれが初めてという。