| カテゴリ 古代

数十年前に木簡発見、実は100年前から(朝日新聞2006-10-29)

「難波津の歌」が書かれていた、姫路市辻井遺跡出土の木簡の赤外線デジタル写真(『奈良文化財研究所紀要2006』から)

◇奈文研の山本さん、講演で紹介/「難波津の歌」手習いも

奈良市の奈良文化財研究所(以下、奈文研)の公開講演会が28日、同研究所の平城宮跡資料館講堂で開かれた。都城発掘調査部史料研究室の山本崇研究員らが登壇。山本さんは「木簡調査の100年」をテーマに、ここ数十年の発見ばかり注目される木簡実は100年前から見つかっていたことや、兵庫県姫路市で21年前に見つかった木簡『古今和歌集』の歌が記されていたとわかったことなどを紹介した。

◇100年前の木簡

平城宮跡で一番最初に見つかった木簡昭和36年(1961)1月出土のもの。寺請てらこうなどと記され、法華寺が役所に食糧を求めた内容で「第1号木簡」とも呼ばれる。これを「日本で最初に見つかった木簡」とする見方が近年まであった。

しかし、最近は「文字が書かれた出土品」全般「木簡」とみるようになったことから、山本さんは「実はもっと古い発見例があります」。「第1号」以前に発掘されていた木簡は実に21例あり、最古の発見明治37年(1904)2月香川県志度町(現さぬき市)の寺で見つかった札だという。

奈文研(当時は奈良国立文化財研究所)が明日香村の飛鳥寺跡で発見した舎利容器の外箱も、「第1号」以前。これまで注目されていなかったが、これが奈文研による最初の発見例ということになった。「私もこれは知らなかった」と山本さんも驚いたという。

◇姫路の和歌木簡

こうして木簡は最近も増えている。昭和62年(1987)末に全国約9万3700点だったのが、この10月には34万点を超える勢いだ。

その1つが、姫路市の辻井遺跡で見つかった「難波津の歌」木簡『古今和歌集』の「難波津に/咲くやこの花/冬籠り/今は春べと/咲くやこの花」という歌を手習いしたものだった。

昭和60年(1985)に出土したが、文字が薄くて判読できなかった。平成16年(2004)になって山本さんらが赤外線デジタル写真を撮って調べ、内容がわかった。同じ歌を書いた木簡は他に17例あるが、下の句まで全文を推定できるのはこれが初めてという。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 古代
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