| カテゴリ 古代

奈良時代の東大寺荘園 「糞置荘」看板で紹介(産経新聞2006-10-28)

文殊山の北側に奈良時代、東大寺荘園糞置荘くそおきのしょうがあったことを当時の地図で紹介する看板が28日、福井市太田町の水田地帯に設置された。除幕式の後に同市立郷土歴史博物館の角鹿尚計学芸員が記念講演し、「地図からは古代のままの景観が残っていることが分かり、極めて珍しい」と語った。

看板は縦約3m、横約4mの木製。同市の「夢・創造事業」として、文殊地区の住民が製作した。

奈良・正倉院には、この荘園を描いた絵図「越前国足羽郡糞置村開田地図」の天平宝宇3年(759)版と天平神護2年(766)版が残っている。

看板にはこの2枚の複写と、絵図と同じ場所の航空写真が、比較できるように紹介。景観が約1250年前から殆んど変わっていないことが分かる。

同市の文殊公民館で行われた講演で角鹿さんは「絵図は日本最古級で、同じ場所で2枚も残っていることは奇跡」と言い、「1200年以上前と同じように米を作り続け、景観が変わらないのは凄いこと」と意義を強調した。

糞置の地名については奈良時代の人は大らかで、「藤原小屎おぐそなど、「くそ」を名前に用い、美名とされて使われていたことを紹介。また、「糞」は肥えた土地であることを示していると考えられ、「誇りをもって地名を語って頂きたい」と話した。

この地名については、文殊山の麓の地下水と共に沸き上がってくる鉄分を多く含んだ黄色の泥が、糞に似ていることを由来とする説も地元にはある。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 古代
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