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甲府城に天守閣あったの?…初めての発掘調査で存在明らかに(山梨日日新聞1998-04-26)

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「お城」というと、誰も思い浮かべるのが天守閣です。戦国武将織田信長安土城に初めて天守閣を造り、その後継者である豊臣秀吉が天下統一を進めながら全国各地に築きました。2人の天守閣には金箔瓦が使われました。煌びやかに輝く天守閣は見る人を驚かせ、権力の強さを演出するのにうってつけでした。

◇存在否定する史書

甲府城は、昭和60年代まで「天守閣はなかった」と云われてきました。江戸時代半ばの儒学者・荻生徂徠の紀行文に「昔からなかった」と記した文章があったからです。それに江戸時代前半の絵図にも天守閣はなく、天守台だけがぽつんと描かれていました。

平成2年(1990)から、傷みが激しくなり災害が起きた時の危険を避けるため、石垣の修復工事が始まり、初の発掘調査が県埋蔵文化財センターによって行われました。この調査で次々と新しい事実が明らかになりました。

甲府城武田家滅亡後、徳川家康によって築かれたと云われてきました。ところが調査が進むにつれ、金箔瓦が次々と見つかりました。家康が造った城には金箔瓦はあまり使われません。家康の次に甲斐の国を支配したのは豊臣家です。「甲府城豊臣の城だった」。「徳川の城」という通説が一気に崩れ去りました。

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◇巨大な鯱瓦を発見

平成8年(1996)には甲府城の最も高い場所にある本丸跡から巨大なしゃちが見つかりました。

それまでの調査でも鯱瓦はたくさん見つかっていたのですが、同年に発見された鯱瓦はこれまでの瓦の2倍もの大きさでした。天守閣をはじめ城の建造物は、一定の比率で造られるため、調査担当者が、他の豊臣の城や、これまで出土した鯱と比べたところ、巨大鯱瓦の高さは約1・5mにもなる事を突き止めました。

◇高さは37m

更に鯱瓦の大きさから、建物の高さは約37mにもなる事が考えられています。城内にあった建物を絵図などで調べてみると、最も高い施設で約15m。この高さを遥かに凌ぐ建物といえば天守閣しかありません。荻生徂徠が「天守閣はなかった」と否定説を唱えて以来、約290年ぶりに通説が覆りました。

天守閣を復元しようという運動が今持ち上がっています。しかし現段階ではどんな天守閣だったのか、どうして壊されてしまったのか、謎だらけです。国の文化財に指定されている城の場合、史実に基づいた復元でなければ絶対にダメ―というのが国の方針です。

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中世
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