| カテゴリ 古代

鑑真和上、目が見えた?―失明は渡来の6年後か(奈良新聞2009-05-11)

『東征伝絵巻』に描かれた渡来時の鑑真和上(中央)。目は開いている

国内に正しい戒律を伝え、唐招提寺を開いた鑑真和上盲目とする定説について、奈良国立博物館の西山厚・学芸部長が「渡来した時は見えていた」との見解を、同館で開催中の「国宝鑑真和上展」で披露した。展示物に和上の姿を追った。

和上の姿を伝える資料で最もよく知られているのが国宝「鑑真和上坐像」。亡くなる直前に弟子たちが制作した像で、禅定印を組んで瞑想する姿だ。

目は固く閉じられているが、渡来から入寂まで10年近くあり、到着時の様子と同じとは言えない。

一方、鎌倉時代の伝記絵『東征伝絵巻』には、目をはっきり開いた鑑真和上が描かれている。難破して洋上に漂う姿は勿論、渡来後の描写にも不自由さは感じられない。

失明を記した『唐大和上東征伝』(奈良時代)について、西山部長は「文学的要素が多く、100%事実か考える必要がある」と話す。

注目するのが正倉院に伝わる『鑑真奉請経巻状』(今回は出展なし)。渡来の年、東大寺良弁ろうべん僧正に経典の借用を申し入れた書状で署名がある。

西山部長は(1)弟子の代筆(2)見えないが書けた(3)目が見えていた―の3つで可能性を検討した。

(1)の場合、署名が行書の続け書きで日付の方が大きく「鑑真の署名に何の思いも入っていない。カリスマ的指導者の名前をこれ程軽やかに書けない」と話す。

(2)は、「部」の最終角の長さが余白に応じて異なり、4行目の「部」は一旦筆を上げて書き直している。見えなければ困難な書き方で、可能性はないという。

華厳経を「厳経」と略した事など、何れも「目が見えていた鑑真和上の自筆」と考えれば説明がつく。

「断定はできないが(1)や(2)に比べて可能性はずっと高い。目が次第に悪くなっていたのは本当だと思うが、完全に失明したのは渡来から6年後、僧綱そうごうの任を解かれた頃ではないか」と話している。



posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 古代
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