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『武雄軍団秋田を駆ける』 市図書館・歴史資料館が図録刊行 戊辰戦争での活躍記す(西日本新聞2009-05-18)

戊辰戦争140年を機に武雄市図書館・歴史資料館が刊行した図録『武雄軍団秋田を駆ける』

『武雄軍団秋田を駆ける』武雄市図書館・歴史資料館が、こんなタイトルの図録を刊行した。サブタイトルは「戊辰戦争140年」同戦争佐賀藩武雄領は、東北諸藩の中で唯一、新政府軍として参戦した秋田藩を支援するために当地に渡り、旧幕府軍と戦った。歳月と共に忘れ去られつつある武雄と秋田の歴史的関係を心に刻んでもらおうと、初めて編集した。

慶応4年(1868)1月に旧幕府軍新政府軍の間で始まった戊辰戦争で、武雄領主の鍋島茂昌は朝廷から出兵を命じられた。佐賀藩の一家臣である武雄領主へ異例の出兵要請がなされたのは、長年の蘭学や砲術研究が評価されたためだったという。

武雄領は約1000人の軍団を編成し、佐賀本藩の兵と共に秋田へ。茂昌は総司令官に任命され、現地で陣頭指揮に当たった。「アームストロング砲など最新の軍備を擁する武雄軍団の活躍は、敵味方を問わず大変驚かせた」と同館の川副義敦副館長は説明する。

旧幕府軍の東北諸藩に包囲され、孤立無援のまま焼土となる寸前だった秋田を救うため、遥々九州から駆けつけた武雄軍団。約2か月の戦闘で14人の戦病死者を出し、多数が負傷した。秋田では、武雄軍団の奮闘で城下が戦禍から免れた史実が語り継がれ、今でも多くの人が感謝の気持ちを忘れていない。

昭和61年(1986)、武雄軍団の兵士を含む戦没者3人の墓があった現地の丘陵地が土地区画整備の対象となり、墓石の移転が必要になった。この時、地元の人たちは「兵士の魂を慰めたい」と武雄にいる子孫を捜し出し、当時の武雄市長も招いて合同慰霊祭を行った。

「翌年には改葬が行われ、遺骨は佐賀を向く形で葬られたそうです。平成5年(1993)には国の重要無形民俗文化財で門外不出とされた秋田市の七夕祭り『竿灯かんとう』が武雄市と佐賀市で演じられ、多くの人が訪れました」と、川副副館長は両地の結び付きの深さを表現した。

図録はA4判、102ページで、武雄鍋島家の関係資料や写真のほか、秋田県内に残る資料も掲載。戊辰戦争での武雄軍団の公式記録『茂昌公羽州御陣中記』の翻刻もある。

川副副館長は「武雄鍋島家に伝えられた古文書のうち約800件が秋田での戦いの関係資料。この膨大さが、決して忘れる事を許さない歴史の重さを物語っている」と結んだ。1冊1000円。問い合わせは市図書館・歴史資料館へ。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)→『武雄軍団秋田を駆ける』販売について(武雄市図書館・歴史資料館のサイトより)


※(関連)→武雄領の戦い辿る「戊辰戦争140年」発行(佐賀新聞2009-04-15)

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近世
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