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鉄門:“門”違いでした 「加納城を移築」実は大垣城―各務原(毎日新聞2009-05-10)

大垣城本丸の門と分かった鉄門

◇中山道鵜沼宿町屋館で公開中

加納城(岐阜市)の門と伝えられていた各務原市内の旧家のくろがねが、大垣城(大垣市)本丸の門である事が各務原市の調査で分かった。寄付を受けた同市が移築のために解体した際、土台の柱に大垣藩大工奉行などの名の墨書が見つかった。鉄門は、移築先の各務原市鵜沼西町の中山道鵜沼宿町屋館で公開されている。

各務原市蘇原野口町の安積輝夫さん宅に明治9年(1876)に払い下げられた鉄門で、「安積門」と呼ばれ、加納城の門を移築したとされてきた。昨年6月、安積さんが市に寄付し、市が解体修理をしたところ、墨書を見つけた。「四月十二日土台入れ」と書かれ、江戸末期の大垣藩大工奉行ら11人の名前もあった。鬼瓦には、大垣藩主・戸田家の紋「九曜紋」もあり、市は大垣城鉄門だったと断定した。

は、間口約5・7m、高さ約4・5m。切妻きりづまの瓦葺き屋根のかかる高麗門。明治3年(1870)の県の公売入札告示には、「鉄門 高一丈一尺、巾三間」とあり、規模がほぼ一致。火矢や敵の攻撃を防ぐために正面には短冊形の鉄板を隙間なく張り、軒下は白漆喰塗りで、厳重な防備の可能な構造。高麗門形式鉄門は、名古屋城本丸表二の門と、大坂城(注1)大手門(二の門)が現存する。


※注1 大坂城
「大坂城」は豊臣期の城郭及び徳川期の城郭を指す。明治期以降、大阪と改称されて以降の昭和期の城郭(天守閣)については「大阪城」天守閣と称す。


大垣城は、天文4年(1535)の築城とされ、空襲で焼失した後、現在の城が再建された。版籍奉還後の明治9年(1876)、天守を除く本丸部分が払い下げられた。



※(関連)→民家の門が大垣城鉄門(朝日新聞2009-05-09)
※(関連)→旧大垣城の鉄門を披露 鵜沼宿 各務原の医師寄贈(読売新聞2009-05-09)
※(関連)→各務原の「安積門」は大垣城鉄門の可能性(岐阜新聞2009-05-09)

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近世
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