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手話(始まりへの旅)(読売新聞2009-05-10)

「手話」のルーツとなる「手勢」

◇京都から始まった

慈愛の精神 聾者導く

4本と2本の指先を合わせ、右手をくるっと半回転させながら下げていく。「季節」を表す手話だ。古都で誕生し、幾つもの季節を経て洗練された「視覚言語」の歴史は、或る教育者の存在なくして語れない。

新緑が眩しい。古都世界遺産の1つ、仁和寺の二王門を潜り、参拝客らで賑わう境内を抜けた。御室の山々が迫り、その麓に学舎が見える。

京都府立聾学校。京都市右京区に位置し、聴覚障害の子どもたち82人が通う。校庭で出会ったのは高等部2年生の生徒ら。手指を素早く動かし、顔の表情も使って、何やら談笑していた。手話だ―

「陸上部の練習について話しているようです」と、教務部長の丸山二郎さん。ここでは幼稚部から高等部まであって、手話は小学部から学ぶという。

聾者にとって欠かせない、そのコミュニケーションの手段が形成されたのは何時か。歴史を辿ると、この学校の前身「盲唖院」に行き着く。明治前期、日本で初めて誕生した聾学校だ―

手話を語る時、先ず、記さねばならない名前がある。古河太四郎。幕末の弘化2年(1845)、京の西陣辺りで生まれ、近代障害児教育の先覚者」とされている。

700人近い生徒を抱える寺子屋が生家とあって、幼少から文武に親しみ、明治維新後、自らも読み書きを指導した。折しも、東京奠都で停滞感が漂う街を人材育成で活性化するため、明治2年(1869)、64の小学校が設けられ、古河も、その教師に就いた。

事件が起きたのは、その翌年の事。水不足に悩む農民らのため池開発を支援して国の許可書を偽造し、投獄された。或る日、獄舎の窓から、耳の不自由な2人の子が殴られ、からかわれているのを見た。障害者への過酷な差別があった時代。聾者は孤立し、意思伝達の手段も持ち得なかった。

獄中で、こう綴った―

盲唖もまた人なり…人に軽蔑且凌辱せらるるのことわりなし

教育の機会を与えないのは、過ち―そう考え、2年後に自由の身となって復職してから、生家に近い小学校で、あの2人を含む3人の障害児を教え始めた。地元の有力者の助力を得て、校内に専用の教室も造ったという。

耳の聞こえない生徒とどう意思疎通を図ったのだろう。「互談する所に注目し其意を酌み」と、古河は書いている。身振り手振りで「互談」する生徒らを観察し、手指や顔の動作1つひとつが何を示すか、探っていったらしい。

「魚の泳ぐ姿を真似た手の仕草が『魚』を表すとか、湯飲みの形にして口にもっていくのが『飲む』だとか、意味が通じる動作が徐々に増え、それを使って文字を教えていった」と、日本手話研究所の高田英一所長は言う。

動物、草木、衣服、色…様々な事物や事象を示す動作はやがて100を数え、古河手勢しゅせいと名付けて文法化に取り組んだ。国内での手話の原型だ。

未だ初歩の段階ながら、その手法は評判を呼んだ。明治天皇が明治10年(1877)6月に視察したのを機にして、親たちが障害児教育を求める運動を展開していく。古河も呼応して教育施設の拡充を訴え、遂に京都府が動いた。

東西両本願寺や有力者らから現在価値で5000万円以上の寄付も集まり、現在の中京区で盲唖院が開校されたのは翌11年(1878)年5月。聴覚障害の31人と視覚障害の17人が入学し、式典で初代院長の古河と生徒が手勢を披露した。獄舎の前で苛められていたあの2人だ。

当時の新聞から、熱気が伝わってくる―

「院中の人々驚き感服したり」
「此の開業は実に我国の美事と云ふべし」

古河は、動作を1つひとつ図示した『形象手勢』に加え、指で日本語の五十音を表す「指文字」も考案して『五十音手勢図』を作成し、教育に生かした。

院長を11年務めて退職し、明治40年(1907)、62歳で生涯を閉じたが、教え子らの交流が聾者の全国組織結成へ繋がり、手勢手話として発達していく。

孫の清明さんが語る。「祖父は晩年、大阪でも盲唖院の開校に関わりました。将に障害児教育に捧げた人生でした」

盲唖院は開校翌年の明治12年(1879)、京都府庁の南に移り、やがて聾学校となって戦後、御室に学舎を構えた。

手話は改良を重ね、古河が編み出した単語の多くは既に使われていない。「指文字」も、より分かり易い形式に取って代わられた。

高田さんらが編む手話辞典に収録された語の数は、最新版で8300余り。当初とは比べものにならないが、「ここまで洗練されたのも先生の功績があればこそ。我々の恩人です」と言う。

自らも8歳の時、病気で失聴し、府立聾学校で学び、そして手話研究の一線に立っている。視覚言語とも呼ばれる現在、尚残る古河の「言葉」が懐かしい。

手探りのふれあいの中から生まれた魚も、草も、山も

◇世界初はパリで

手指の形や動き、顔の表情などで意味を伝える手話は、1760年(宝暦10)、フランス・パリで世界初の聾学校を開設したド・レぺが考案し、教育に採り入れたのが始まりとされる。世界各国で、異なる手話が用いられているという。

厚生労働省の実態調査(平成18年=2006)によると、日本で身体障害者手帳を持つ聴覚障害者は約27万6000人で、うち約5万2000人が手話を日常的に使っている。


posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | バリアフリー
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