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四季風(山口新聞2008-09-04)

明治維新といえば吉田松陰、高杉晋作ら長門部の志士が思い起こされる。勿論それに異論はないが、周防部には志半ばで非業の最期を遂げた志士が数多くいた。その郷党を見直す展示が柳井市ふれあいタウン大畠で開かれている。

それは周防大島町椋野出身の世良修蔵の生涯を辿る展示だ。庄屋の三男に生まれ勤皇僧月性清狂草堂で学んだ世良第二奇兵隊軍監として四境戦争大島口の戦いで幕府軍をけ散らし、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍陣地を突破して官軍勝利を決定付けた。

世良品川弥二郎に代わって奥羽鎮撫総督府参謀となったが、世良を待ち受けていたのは仙台藩士らによる暗殺だった。仙台藩の会津救済嘆願を無視し「奥羽を皆敵」とした世良の強硬姿勢のためとされるが、強硬姿勢は官軍側の大方針だった。

同郷の志士から「世良は火中の栗を拾わされた」という話も残っている。月性門下では世良のほか赤根武人大楽源太郎らも非業の死を遂げている。それは彼らが毛利直臣でなく陪臣だったためとされる。

奥羽では悪人扱いされた世良は儒学者安井息軒三計塾長を務め、和歌や横笛をたしなむ実直で学究肌の人だった。展示は15日まで開かれる。



※(関連)→大島出身の志士・世良修蔵 生涯辿る展示―柳井(山口新聞2008-08-31)
※(関連)→列藩同盟密談の史料も 七ヶ宿で戊辰戦争展(河北新報2008-05-21)

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近世
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