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山本勘助の名が記された下知状を公開 入野谷講座で参加者の興味を惹く(伊那毎日新聞2007-04-29)

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武田信玄の家臣・山本勘助が実在した事を証明する下知状が、伊那市の長谷公民館内収蔵庫に保管されている。NHK大河ドラマ「風林火山」が放映中で、地域住民らの関心を集めそうだ。

下知状(弘治2年=1556)は、武田が長谷の名家黒河内八郎右衛門に宛てたもの。神野峯城(現飯田市)を攻めるため、山本勘助を大将に、浪人を集めて戦う用意をしろという内容。山本勘助の案内役も務めるように添えられ、文面から山本勘助の名がはっきり読み取る事ができる。赤い判が押されている事から、朱印状とも呼ばれる。

伊那古文書研究会長の久保村覚人さん=伊那市荒井=が解読し、27日夜にあった第1回入野谷講座で複写した下知状を公開した。

久保村さんは「高遠城にも『勘助曲輪』が残っている。山本勘助が実在したという貴重な古文書である」と話した。



※(参照)→「山本菅助」への信玄書状を発見 群馬県安中市の民家 褒美与える内容など2通(山梨日日新聞2009-05-01)
※(参照)→「勘助子孫」宅で古文書見つかる(東愛知新聞2007-12-15)
※(参照)→真偽は?揺れる評価 山本勘助を記録した『甲陽軍鑑』(朝日新聞2007-04-04)
※(参照)→『市河文書』公開へ、山本勘助の名も(釧路新聞2007-02-16)
※(参照)→山本勘助の実在証明する『市河家文書』初公開へ(山梨日日新聞2006-11-09)
※(参照)→来年の大河ドラマ 山本勘助の存在証明文書公開へ 釧路の板井さん所有(北海道新聞2006-06-27)

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中世
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