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武雄領の戦い辿る「戊辰戦争140年」発行(佐賀新聞2009-04-15)

図録『戊辰戦争140年 武雄軍団秋田を駆ける』の表紙

◇秋田出陣の軌跡―最新西洋砲で存在感

武雄市図書館・歴史資料館図録『戊辰戦争140年 武雄軍団秋田を駆ける』を発行した。佐賀藩陪臣(家臣)領だったにも拘らず、明治新政府から異例の出兵命令を受けて戊辰戦争に出陣した武雄領の人々の戦いを辿っている。

同館の図録としては12冊目の刊行。戊辰戦争から140年の節目に合わせて編集した。

約1000人の軍団は武雄領主鍋島茂昌しげはるを筆頭に、慶応4年(1868)7月初めに出発。31藩からなる奥羽越列藩同盟新政府軍が激戦を展開していた東北に向かい、秋田戦線に投入された。4門のアームストロング砲など最新装備を持つ軍団は9月下旬まで転戦。戦病死者が14人出たほか、多数の負傷者を抱えて帰還した。

図録武雄鍋島家に伝わった関係資料はじめ、秋田県内に残る資料など計106点をカラー写真で紹介。付録として、公式記録といえる『茂昌公羽州御陣中記』(武雄鍋島家資料・武雄市所蔵)を翻刻した。

命令書や激戦の記録、戦地で使われた銃や備品などを並べ、軌跡を追っている。『茂昌公関東御出張被蒙朝命候御書付写』新政府が10代佐賀藩主鍋島直正に対し、武雄領主らの出兵を命じた文書。武雄領での「長年の西洋砲術研究が評価され、関東への出兵が命じられた事が分かる」と説明している。

秋田での戦いが終結した後、軍団は東京に暫く滞在した。この経緯については、新政府の軍務副知事・大村益次郎の書簡を紹介。「優秀な洋式装備を有する武雄軍団の羽州戦線における活躍振りは、新政府当局の注目を集め、政府護衛軍として東京に引き留めておこうという意見が出、軍団の帰国は延期されていたのである」と解説している。佐賀藩戊辰戦争を通じて存在感を高めていった事を示す資料ともいえそうだ。

この他「錦の御旗」鍋島茂昌が天皇から拝領した軍扇や杯なども―

解説で武雄市図書館・歴史資料館の川副義敦副館長は武雄鍋島家資料の中に数多くの「羽州戦争」関係資料がある事を示し、「この資料の膨大さが、羽州出兵の事実と共に、決して忘れる事を許さない歴史の重さを如実に物語っている」と記している。

A4判、101ページ、1000円。武雄市図書館・歴史資料館で販売。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参照)→『武雄軍団秋田を駆ける』販売について(武雄市図書館・歴史資料館のサイトより)


※(関連)→○『武雄軍団秋田を駆ける』 市図書館・歴史資料館が図録刊行 戊辰戦争での活躍記す(西日本新聞2009-05-18)

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近世
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