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非業の死遂げた宇都宮氏の姫、地元住民ら420回忌供養(読売新聞2009-04-23)

供養塔の前で手を合わせる宇都宮富男さん(手前左)ら

◇「鶴姫」供養塔劣化進み移設

16世紀、豊前国の一部を治めた豪族・宇都宮鎮房の娘、鶴姫供養祭が命日の22日、吉富町小犬丸の宇賀貴船神社で営まれた。町指定文化財の供養塔(高さ約2・5m)の移設記念で、末孫や町民ら約50人が、非業の死を遂げた姫に思いを馳せた。

鶴姫は、豊臣秀吉の命で同国6郡の領主となった黒田孝高と、宇都宮氏の和議の証しとして、人質となった。しかし、天正17年(1589)4月22日、侍女ら13人と共に、廣津村(現在の吉富町広津)の千本松原ではりつけにされたという。江戸時代の19世紀になり、中津藩主奥平昌高が、姫の崇りを恐れて現地に供養塔を建立。その後、移設を繰り返す中で、野晒しのまま亀裂が入るなどし劣化が進んでいた。

このため、郷土史愛好家らで創る「吉富歴史文化の会」が、姫を祭神として祀る神社の傍らに移設して、保護しようと約10年前から計画。地元住民から土地の提供を受けるなどして実現し、風雨除けの上屋を設置した。

420回忌にあたる供養祭では、宇都宮氏の菩提寺の天徳寺(築上町本庄)の住職による読経が流れる中、参列者一人ひとりが、手を合わせ焼香した。

姫の末孫にあたる宇都宮富男さん=小倉南区平尾台ニ=は、妻の和子さんと参列し、「供養してもらって有り難い。先祖が浮かばれます」と感慨深げ。同会の太田栄会長は「地元住民でも(姫の)悲運を知らない人が多いので、石碑を大事に後世に残していきたい」と話していた。

※(参考)→豊前の名将 城井鎮房」(西南にっぽん歴史考)『読売新聞・九州発』
※(関連)→悲劇の姫君 鶴姫の供養祭 福岡・吉富町(西日本新聞2009-04-23)
※(関連)→「町民に知って欲しい」悲劇の鶴姫、22日420回忌/吉富町(西日本新聞2009-04-22)

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中世
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