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「町民に知って欲しい」悲劇の鶴姫、22日420回忌/吉富町(西日本新聞2009-04-22)

鶴姫の遺体が眠るとされる石祠を指す太田栄会長。左後方は鶴姫の追善供養塔

中津藩主城主(注1)黒田孝高の謀略により、父親で豊前の豪族宇都宮鎮房と共に殺害された鶴姫420回忌にあたる22日、吉富町小犬丸にある宇賀貴船神社供養祭が営まれる。吉富歴史文化の会の呼び掛けで実現した。宇都宮氏の菩提寺である築上町本庄、天徳寺の溝口浩久住職が読経する。

注1 藩主
→○○藩という呼び方はあくまで江戸幕府が成立して以降の名称なので、この時期(=豊臣政権期)に「藩主」は存在しない。


天正15年(1587)、豊臣秀吉の命により豊前6郡の領主となった黒田孝高は、頑強に抵抗する宇都宮勢にてこずり、鶴姫らを人質に和議を結んだ。同17年(1589)4月20日、中津城に、鶴姫の父鎮房を招き謀殺。22日には、14歳の鶴姫はりつけにしたと伝えられている。

その後中津藩では、領主が変わっても、騒動が起こる度に「鶴姫の祟り」と云われるようになった。追善供養塔や宇賀神社(現・宇賀貴船神社)を建立し、地元の人は神社に鶴姫の石祠を造ったという。

吉富歴史文化の会は、町内で別々の場所にあった供養塔と石祠を一緒に祀る事を計画。昨年9月、神社の横に供養塔を移設・安置した。同会の太田栄会長は「供養祭を契機に、町民に広く鶴姫の悲劇を知ってもらいたい」と話している。

※(参考)→豊前の名将 城井鎮房」(西南にっぽん歴史考)『読売新聞・九州発』
※(関連)→非業の死遂げた宇都宮氏の姫、地元住民ら420回忌供養(読売新聞2009-04-23)
※(関連)→悲劇の姫君 鶴姫の供養祭 福岡・吉富町(西日本新聞2009-04-23)

posted by 御堂 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中世
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