織田信長から府中(現在の越前市)周辺10万石を分け与えられた前田利家、佐々成政、不破光治の3人が、連帯して統治にあたっていた可能性の高い事が18日までに、加賀藩の研究会「加賀藩・歴史文化護持協力会」の調査で分かった。大阪市内の不破家から、年貢を取り立てる知行地を家臣に与える3人連名の書状の写しが見つかった。政治的決裁は3人で行っていた事が窺え、謎とされてきた「府中三人衆」の関係解明へ一歩近付いた。
発見された書状の写しは、天正4年(1576)5月2日付で、家臣の赤座
「府中三人衆」の連書はこれまで、紙屋に専売を認める文書では見つかっているが、知行という重要事案に関わる文書では初めて。解読に当たった金沢市文化政策調査員の屋敷道明氏は「赤座小法師(※2)は3人のうち、誰かの家臣だと考えられるが、1人では決裁していない点が興味深い」と分析している。
※1、2―赤座小法師=赤座吉家のこと
10万石の領地を3万3000石ずつ均分し、大名の仲間入りを果たし、越前国主、柴田勝家の目付を命ぜられた3人だが、一人前の政治力は与えられていなかったともいえ、屋敷氏は「3人それぞれに独立した権利を与えない信長の猜疑心の強さが窺える文書だ」と話している。
同協力会は昨年1月、加賀藩を支えた重臣の子孫をはじめ、個人や団体約100会員で発足。初年度事業として、詳細が判明していない利家の府中時代を解明するため、大阪市の不破家13代当主、不破一氏宅と、金沢市昌永町の不破家菩提寺、廣誓寺に保管されていた『不破家文書』の解明を進めてきた。
現在まで373点を整理し、近く解説文と目録をまとめた冊子を作成する。協力会の横山隆昭会長は18日、「『不破家文書』の判読により、加賀藩の出発点である府中時代に光を当てる事ができた」と話し、今後も高岡市内にある不破家の文書解読などを進める方針だ。
※府中三人衆が連帯して統治にあたっていた状況は、この赤座小法師(吉家)に宛行った天正4年(1576)5月までのようで、これ以降は三人衆の連署が見られなくなっている。