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太田で鏑矢祭 児童、空へ放つ(東京新聞2009-05-09)

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新田義貞鎌倉攻め旗揚げをした地とされる太田市新田市野井町の生品いくしな神社で8日、鏑矢かぶらやが開かれた。黒袴に鉢巻き、たすき掛けの男子小学生64人が、竹製の弓で矢を2度、空に向けて放った。

義貞が元弘3年・正慶2年(1333)に挙兵した際、鎌倉の方角に向けて矢を放ち、吉凶を占ったという故事に因んだ行事。儀式を掌る茂木晃さんの指導で、地元の生品小学校6年生が4月から放課後に練習して臨んだ。同小の柳悠真くんは「伝統的な行事に参加で着て良かった。本番はちゃんと矢を放つ事ができ、練習して良かった」と話していた。



※(関連)→新田義貞に因み鏑矢祭 太田・生品神社(朝日新聞2009-05-10)
※(関連)→新田氏所縁の太田・生品神社で鏑矢祭(上毛新聞2009-05-09)


 

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マリア・ルス号事件 題材に県が紙芝居制作(朝日新聞2009-05-08)

紙芝居『タンキョー マリア・ルス号ものがたり』

明治時代初め、横浜港に入港した船から奴隷扱いされていた外国人労働者が解放された事件を描いた紙芝居『タンキョー マリア・ルス号ものがたり』を、県が制作した。

事件は明治5年(1872)、ペルー船マリア・ルス号が横浜港に停泊中、船から逃げた清国の労働者が、船内で奴隷扱いされていたと告発して発覚した。当時の副知事に相当する権令ごんれい(=副知事)の大江卓が裁判長を務め、清国人労働者230人余りが解放された。

紙芝居は、横浜開港150周年を記念して、開港当時の様子を伝えるために作られた。紙芝居作家の若山甲介さんやイラストレーターの笹尾としかずさんらが手掛けた。

B4判で12枚。本文の漢字にはルビがふられ、子どもにも演じられるようにした。1800部制作、県内の全小学校や図書館などに配られる。

県のホームページから無料でダウンロードできる。横浜市中区の県庁第2分庁舎1階県政情報センターで販売もしている。価格は446円。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)→「マリア・ルス号事件」を題材とした紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」について(神奈川県のサイトより)



※(関連)→横浜開港150周年:19世紀の外国人保護事件 マリア・ルス号、紙芝居に(毎日新聞2009-05-09)
※(関連)→明治の知事の活躍紙芝居に 「マリア・ルス号事件」が題材(読売新聞2009-05-09)
※(関連)→中国人奴隷解放に尽力 「マリア・ルス号事件」が紙芝居に(産経新聞2009-05-07)
※(関連)→マリア・ルス号事件 紙芝居で知ってね(東京新聞2009-05-04)


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立夏の街に威勢よい掛け声 宇治上神社・還幸祭 槇島から宇治橋渡り境内へ(洛南タイムス2009-05-08)

世界遺産宇治がみ神社=宇治市宇治山田=の還幸祭が5日に行われ、同神社を氏神にしている槇島東地区の各町内に御輿が巡行。威勢の良い触れ太鼓とワッショイ、ワッショイの掛け声が立夏の街に響き渡った。

家内安全やその年の豊作を祈願する宇治上神社恒例の祭礼。1日の神幸祭同神社から槇島集会所(槇島町北内)に御輿と牛車を思わせる鳳輦が神社奉賛会の氏子らによって運ばれていた。

「こどもの日」(立夏)の還幸祭では、触れ太鼓に続いて子どもたちが鳳輦を引っ張り、「世界文化遺産 国宝 宇治上神社祭礼」と記したのぼりを立てた御輿がこれに続いて地区内を巡行した。

地元の伝統行事を盛り上げようという氏子総代の熱意に呼応し、還幸祭には今年も校区の北宇治中学校からも生徒会の前田博之会長、書記の池森友美さん、バレーボール部女子の2年生部員16人が参加。

中学生の積極的な参加で伝統の祭礼は盛り上がり、途中で御輿に長柄を付けて、折からGW中の行楽者で賑わう宇治橋を元気に渡り、宇治上神社へと巡行した。


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中国人奴隷解放に尽力 「マリア・ルス号事件」が紙芝居に(産経新聞2009-05-07)

県が制作した紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」

神奈川県は、明治初期に当時の県副知事が中国人奴隷解放に挑んだ「マリア・ルス号事件」を題材にした紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」(全12枚)を制作した。

紙芝居では当時の県副知事に当たる大江卓権令ごんれい(=副知事)が、横浜港に入ったペルー船籍のマリア・ルス号に乗せられていた中国人奴隷を裁判で解放に導くまでの経緯を、カモメの語りで紹介。

県は1800部を制作、県内小学校などに配布予定で、県庁でも販売。また県のホームページからは自由にダウンロードできる。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)→「マリア・ルス号事件」を題材とした紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」について(神奈川県のサイトより)



※(関連)→横浜開港150周年:19世紀の外国人保護事件 マリア・ルス号、紙芝居に(毎日新聞2009-05-09)
※(関連)→明治の知事の活躍紙芝居に 「マリア・ルス号事件」が題材(読売新聞2009-05-09)
※(関連)→マリア・ルス号事件 題材に県が紙芝居制作(朝日新聞2009-05-08)
※(関連)→マリア・ルス号事件 紙芝居で知ってね(東京新聞2009-05-04)


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「障害児教育の母」知って「筆子・その愛」9日上映会 さいたま(読売新聞2009-05-05)

石井筆子を演じる常盤貴子さん(左)

「日本の障害児教育の母」と呼ばれる石井筆子の生涯を描いた映画「筆子・その愛―天使のピアノ」の上映会が9日、さいたま市民会館おおみや(大宮区下町)小ホールで開かれる。

筆子は長崎県生まれ。華族女学校(後の女子学習院)の仏語教師時代に出会った津田塾大学の創設者・津田梅子と共に、米国へ派遣された。外国人の接待役を務め、「鹿鳴館の華」と称され、女子教育の普及活動や貧しい家庭の子女への保母教育などに尽力した。

次女と三女が早世し、若くして夫とも死別したが、知的障害のある長女の養育を通して、日本初の知的障害者施設「滝乃川学園」(現在は東京都国立市)創設者・石井亮一と知り合い再婚。知的障害者の福祉や教育に力を注いだ。

映画は、平成17年度(2007・4〜08・3)に「児童福祉文化賞」を受賞。筆子役は女優の常盤貴子さん、亮一役は歌舞伎俳優の市川笑也さんが演じる。筆子は結婚祝いに、天使が刻印されたピアノを実家から贈られた。その「天使のピアノ」は現在も同学園に残されている。

同映画の山田火砂子監督自身、重度の知的障害のある娘を持つ。筆子の生き方に感銘を受けて映画化を決意したといい、「社会福祉に携わる人だけでなく、多くの人に見てもらえたら嬉しい」としている。

午後2時開演。当日は山田監督の舞台挨拶を予定。定員約300人。当日券は大人1300円、障害者と60歳以上は1000円。問い合わせは、現代ぷろだくしょんの上映担当へ。


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マリア・ルス号事件 紙芝居で知ってね(東京新聞2009-05-04)

県が「マリア・ルス号事件」をテーマに作製した紙芝居

明治初期に当時の県副知事が中国人奴隷の解放に力を尽くした「マリア・ルス号事件」を題材にした紙芝居が完成し、製作した県が販売を始めた。

事件は明治5年(1872)に起きた。横浜港に寄港したペルー船「マリア・ルス号」から、奴隷として強制的に乗船させられていた中国人約200人が脱出し、救助を求めた。当時の県副知事に当たる大江卓権令ごんれい(=副知事)は県庁内に臨時法廷を開き、中国人の解放を決めた

紙芝居は、こうした歴史的経緯をB4判12枚の絵とシナリオにより分かり易く伝えている。1800部作製し、県内全小学校や図書館に送ったほか、県庁でも1部446円で販売する。また、県のホームページからも自由にダウンロードできる。

― ◇ ◇ ◇ ―

※(参考)→「マリア・ルス号事件」を題材とした紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」について(神奈川県のサイトより)



※(関連)→横浜開港150周年:19世紀の外国人保護事件 マリア・ルス号、紙芝居に(毎日新聞2009-05-09)
※(関連)→明治の知事の活躍紙芝居に 「マリア・ルス号事件」が題材(読売新聞2009-05-09)
※(関連)→マリア・ルス号事件 題材に県が紙芝居制作(朝日新聞2009-05-08)
※(関連)→中国人奴隷解放に尽力 「マリア・ルス号事件」が紙芝居に(産経新聞2009-05-07)

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マリア像祈りの行進 乙女峠まつり(読売新聞2009-05-04)

マリア像を掲げて進む行列

キリスト教殉教者を偲ぶ「乙女峠まつり」が3日、津和野町後田の津和野カトリック教会などで行われた。西日本各地から集まった約2000人の信者が、聖母マリア像を中心に行列を作り、賛美歌や祈りの言葉を唱えなえながら、同教会から乙女峠のマリア聖堂までの約2kmを行進した。

津和野では慶応4年(1868)から5年間、長崎・浦上村のキリスト教信者153人が幽閉、改宗を迫られ、36人が殉教。昭和26年(1951)、乙女峠に殉教者を記念する聖堂が建てられ、翌27年(1952)から毎年まつりが行われている。

薔薇バラの花で飾られたマリア像は、白いベール姿の高校生8人が肩に乗せて静かに運び、その前を、やはりベール姿の町内の私立保育園・津和野幼花園の園児らが花びらを撒きながら先導。初夏の城下町観光に訪れた人たちも足を止め、厳かな行列に魅入っていた。



※(関連)→津和野で乙女峠まつり(山陰中央新報2009-05-04)
※(関連)→殉教者へ祈り 乙女峠まつり(中国新聞2009-05-04)
※(関連)→津和野で乙女峠まつり 殉教者を追悼(山陰中央新報2008-05-04)

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津和野で乙女峠まつり(山陰中央新報2009-05-04)

マリア像を担ぎ、津和野カトリック教会を出発する女子高校生ら

キリシタン殉教の地で知られる津和野町で3日、「乙女峠まつり」があった。全国各地から集まったカトリック信者約1500人が聖母行列や野外ミサに参列し、殉教者の霊を慰めた。

白いベール姿の高校生8人が担ぐマリア像の列は、地元保育園児の先導で津和野カトリック教会を出発。賛美歌を口遊くちずさみながら、新緑眩しい約2kmの道程を歩き、野外ミサ会場の乙女峠のマリア聖堂を目指した。

野外ミサでは関東地方から参加した熱心な信者らの姿もあり、聖マリア像に敬虔な祈り。聖堂は、殉教者に祈りを捧げる声と賛美歌の歌声に包まれた。

乙女峠まつりは、慶応4年(1868)から弾圧で捕らえられ、津和野藩により改宗を迫られ亡くなった長崎県浦上村のキリスト教殉教者36人を追悼するため、昭和27年(1952)から開かれている。



※(関連)→マリア像祈りの行進 乙女峠まつり(読売新聞2009-05-04)
※(関連)→殉教者へ祈り 乙女峠まつり(中国新聞2009-05-04)
※(関連)→津和野で乙女峠まつり 殉教者を追悼(山陰中央新報2008-05-04)

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殉教者へ祈り 乙女峠まつり(中国新聞2009-05-04)

乙女峠を目指す聖母行列

キリシタン殉教者の霊を慰める乙女峠まつりが3日、島根県津和野町であった。信者約2000人が全国から集まり祈りを捧げた。

信者たちは殿町通りの津和野カトリック教会を出発。白いベール姿の女子生徒が担ぐマリア像を中心に、約2km離れた乙女峠を目指した。沿道には大勢の観光客や町民が詰め掛け、行列をカメラに納めていた。乙女峠にあるマリア聖堂の広場では野外ミサを開き、弾圧による殉教者の霊を慰めた。

乙女峠には慶応4年(1868)から明治6年(1873)にかけて長崎県の教徒153人が改宗を迫られ幽閉され、36人が殉教した。



※(関連)→マリア像祈りの行進 乙女峠まつり(読売新聞2009-05-04)
※(関連)→津和野で乙女峠まつり(山陰中央新報2009-05-04)
※(関連)→津和野で乙女峠まつり 殉教者を追悼(山陰中央新報2008-05-04)

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悲劇の『照姫伝説』映す池 石神井公園(東京都練馬区)(憩いの名園)(東京新聞2009-05-02)

心地よい初夏の風に乗って、法螺貝と和太鼓の音が園内に響き渡る。石神井しゃくじい池に反射する目映い日の光を受け、煌びやかな姫らの行列が登場した。見守る来園者の数は十数万人。4月26日に開かれた「照姫まつり」は、石神井公園で最大のイベントだ。

しかし、その華やかな祭りの装いとは裏腹に、「照姫の伝説は悲劇に彩られているんですよ」と、公園を管理する東京都公園協会の三澤栄一さんは話す。

照姫は、現在の豊島、練馬周辺を支配していた石神井城主・豊島としま泰経やすつねの娘とされている。豊島家平安時代から続く南関東の名族だったが、室町中期に江戸城主・太田道灌と対立し、文明9年(1477)の江古田・沼袋原の戦いで敗れた。同年4月18日に石神井城は落城、照姫は池に身を投げた。

「毎年4月の終わりか、5月初めに、照姫が身を投げたとされる日を偲んで祭りが開かれるようになりました」(三澤さん)

祭りの主役である照姫と父、泰経夫妻役は住民の中からオーディションで選ばれた3人。公園周辺での行列を終え、園中央のステージで挨拶に立った照姫役の阿部友紀さんは「500余年の時を経て蘇った(照姫らの)姿を通して命の美しさを感じ取って頂けたら幸いです」と祭りの意味を伝えた。

行列では、照姫親子のほか、豊島氏の重臣とされる「石神井法貫」「板橋惣之介」「大泉忠憲」「滝野川種次」らの武将も登場。戦国の世に散っていったその名は、何れも周辺の地名に刻まれている。

公園が今に伝えるのは、そんな無常の歴史だけではない。照姫が眠っているとされる三宝寺池は武蔵野三大湧水池としても知られ、ヨシ、マコモといった水生植物が自然のままに繁っている。氷河時代の生き残りともいわれるミツガシワやカキツバタなどの植物も群生しており、戦前の昭和10年(1935)には「三宝寺池沼沢植物群落」として国の天然記念物に指定された。

ただ、自然遺産を保全するのは容易でない。「水の質や量を調整したり、外来魚を駆除したり、手入れは欠かせません」と公園サービスセンター長の樋口直行さんは強調する。

照姫まつりを見物していた杉並区の石井雅美さんは「子どもの頃、石神井公園の池は歴史と自然を包み込んでいるから輝いているんだと教えられました。今も大切な場所です」。そんな公園への感謝を口にする人は多い。



※(関連)→「照姫行列」で戦国絵巻再現 石神井公園で26日「まつり」(東京新聞2009-04-23)
※(関連)→艶やか照姫行列 練馬(東京新聞2007-05-14)

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「山本菅助」への信玄書状を発見 群馬県安中市の民家 褒美与える内容など2通(山梨日日新聞2009-05-01)

信玄(晴信)が菅助に宛てた書状の一部。左端に「山本菅助との」とあり、その右隣に信玄の花押がある

戦国時代の武将武田信玄(晴信)に仕えた「軍師・山本勘助」が実在したか注目される中、信玄が家臣山本菅助に宛てた書状が、群馬県安中市の民家で見つかった。山梨県立博物館の調査によると、信玄菅助に褒美を与えたり、家臣の見舞いを命じた内容の2通で、信玄の花押(署名)が入り、「山本菅助」と記されていた。これまで菅助の存在を示す史料は昭和44年(1969)に北海道で見つかった、信玄が奥信濃の市河氏に宛てた書状『市河文書』だけだった。県立博物館は「『山本菅助』という名の人物が居た事は間違いなく、菅助の人物像や功績などを研究する上で貴重な史料」としている。

名前の字が異なる「山本勘助」は、江戸時代の軍事書『甲陽軍鑑』などに有能な軍師として登場するが、実在を裏付ける学術的な史料はなく、一家臣としての菅助の存在を示す唯一の史料が『市河文書』だった。今回見つかった文書には『市河文書』と同じ「菅助」の名が記され、紙の材質や文書の書式などからも信玄が活躍した16世紀後半のものでほぼ間違いないという。

新たに見つかった文書を所蔵していたのは、安中市原市在住の真下正貴さん。昨年5月、蔵の整理中に『信玄公御證(証)文』と書かれた漆塗りの木箱を発見。中には5通の文書が年代順に張られた巻物1本が入っていた。

このうち信玄菅助に宛てた書状は2通。業績を褒め恩賞を与える内容と、重篤な状態にある家臣「小山田(出羽守信有)」の見舞いを命じる内容で、1通は「菅介」の字が使われていた。

武田家菅助宛てに出した朱印状1通では、菅助に足りない武具の支度を指示するなど、信玄が家臣として信頼していた様子が窺える。

残る2通は、武田家菅助の後継者といわれる「山本十左衛門尉」軍役を命じた朱印状と、徳川家康の次男「結城秀康」菅助の子孫と思われる「山本平一」に宛てた見舞いの礼状だった。この2通からは菅助の子孫の存在も明確になった。

調査を担当した県立博物館学芸員の海老沼真治さんは「菅助は上野国(現群馬県)から東信濃の動静に精通しており、高崎藩士の中に山本菅助の子孫を名乗る人物が居た事などから、菅助と群馬は深く関係していたと考えられる。多くの研究者の意見を聞きながら、1通毎に史実と照らし合わせてより詳しく研究したい」と話している。

見つかった文書は今後、群馬県の安中市学習の森ふるさと学習館で保存される。



※(参照)→「勘助子孫」宅で古文書見つかる(東愛知新聞2007-12-15)
※(参照)→山本勘助の名が記された下知状を公開 入野谷講座で参加者の興味を惹く(伊那毎日新聞2007-04-29)
※(参照)→真偽は?揺れる評価 山本勘助を記録した『甲陽軍鑑』(朝日新聞2007-04-04)
※(参照)→『市河文書』公開へ、山本勘助の名も(釧路新聞2007-02-16)
※(参照)→山本勘助の実在証明する『市河家文書』初公開へ(山梨日日新聞2006-11-09)
※(参照)→来年の大河ドラマ 山本勘助の存在証明文書公開へ 釧路の板井さん所有(北海道新聞2006-06-27)

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